なぜ神は人類を創造したのか(2/4):神を想起する必要性

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神の想念

神 の法に含まれる様々な崇拝行為のすべては、人が神を想念することを手助けします。人間が、時には最も重要なことでも忘れてしまうことは自然なことです。人 はたびたび、物質的な必要性を満たすことに没頭するあまり、精神的な必要性を満たすことを完全に忘れてしまいます。礼拝が定められたのは、信仰者が神への 想念を中心に日常生活を送るようにするためです。それは物質的要求と精神的要求を日々融合させます。食事・仕事・睡眠などの日常的な必要性が、人にとって 神との親密さを新たにさせます。礼拝について、神は最終啓示でこのように述べています。

 “本当にわれはアッラーである。われの外に神はない。だからわれに仕え、われを心に抱いて礼拝の務めを守れ。”(クルアーン20:14)

神は断食について、クルアーンでこう述べます。

 “信仰する者よ、あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。”(クルアーン2:183)

信 仰者たちは、出来る限り神を想念するよう促されています。一般的に、物質面・精神面のどちらにおいても人生のあらゆる分野で中庸性が推奨されていますが、 神への想念だけは別です。神への想念をし過ぎるということは、事実上不可能です。最終啓示において、神は信仰者が出来る限り頻繁に神を想念するよう薦めて います。


 “信仰者たちよ、アッラーを頻繁に想念するのだ。”(クルアーン33:41)


一般的に、罪は神が忘れられたときに犯されるものであるため、神への想念は強調されます。悪 の力は神への意識が失われたとき、その力を最大限に発揮します。また、悪魔は人の心を妄想や欲望で満たすことによって神を忘れさせようと試みます。一旦神 が忘れられると、人は進んで腐敗の方向へと動きます。最終啓示において、こうした現象は以下のように述べられています。


 “悪魔がかれらを支配し、アッラーを念うことを忘れさせた。かれらは悪魔の仲間である。本当に悪魔の仲間は損失者である。”(クルアーン58:19)


神は、神の法を通して酩酊物と賭博を禁じられました。なぜならそれらは人間に神のことを忘れさせるからです。人間の心と身体は容易に薬物や賭博の虜になってしまいます。一度それらの中毒になると、それらの刺激を欲する人間の欲望は、あらゆる種類の腐敗と暴力に走ります。神はクルアーンにおいてこう述べます。


 “悪魔の望むところは、酒と賭矢によってあなたがたの間に、敵意と憎悪を起こさせ、あなたがたがアッラーを念じ礼拝を捧げるのを妨げようとすることである。それでもあなたがたは慎しまないのか。”(クルアーン5:91)


人は、自らの救済と成長のために神を想念する必要があります。あ らゆる人々は、つい罪を犯してしまうような弱さを持っています。彼らが神を想念しないのであれば、罪はより深くなり、ひとつひとつの罪が腐敗となるので す。しかし、神の法に従う人々は、常に神のことを想い起こし、それによって悔悟の機会と自己修正の機会が与えられるのです。最終啓示は、その経過について 正確に述べます。


 “また醜悪な行いをしたり、過失を犯した時、アッラーを念じてその罪過の御赦しを請い…”(クルアーン3:135)


イスラーム宗教

現在、人類に提供されている最も完全な崇拝システムとは、イスラーム宗教において見出すことのできるものです。「イスラーム」という名称自体、「神の御意への服従」を意味しています。一般的にイスラームは「3 大一神教の3番手」として言及されることが多いですが、イスラームは新しい宗教ではありません。それは神の預言者たちすべてによって人類にもたらされた宗 教であるからです。イスラームはアダム、アブラハム、モーゼやイエスの宗教でした。神はこの件に関して、預言者アブラハムに言及しつつクルアーンでこう述 べています。


 “イブラーヒーム(アブラハム)はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかった。しかしかれは純正なムスリムであり、多神教徒の仲間ではなかったのである。”(クルアーン3:67)


神 は唯一であり、人類は一つの種族であるため、神が人類に定めた宗教も唯一なのです。神はユダヤ教徒に一つの宗教を定めたり、インド人や欧米人に別の宗教を つくったりしたのではありません。人間にとっての精神的・社会的必要性は一様であり、人間性そのものは最初の男女が創造されたときから変わってはいませ ん。また、最終啓示において神が明言されているように、イスラーム以外の宗教を神はお認めにはならないのです。


 “本当にアッラーの御許の教えは、イスラーム(主の意志に服従、帰依すること)である。”(クルアーン3:19)


 “イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。”(クルアーン3:85)

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