イスラームにおける非ムスリムの権利(3/13):人間としての尊厳を保つ権利(上)

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神はムスリム・非ムスリムを問わず、人類を尊厳と共に創造し、彼らの地位を多くの創造物よりも高められました。神はクルアーンでこう述べられます。

 “われはアーダムの子孫を重んじて海陸にかれらを運び、また種々の良い(暮らし向きのための)ものを支給し、またわれが創造した多くの優れたものの上に、かれらを優越させたのである。”(クルアーン17:70)

栄誉のしるしとして、またその地位を高めるため、神は天使たちに対し、人類の父であるアダムへ謙虚に跪拝するよう命じました。神はクルアーンの中でこう告げ知らせます。

 “われが天使たちに対し、「アダムにサジダしなさい。」と言った時を思いなさい。サタンの他かれらはサジダした。だがかれは拒否した。”(クルアーン20:116)

神は人類に多くの恩寵を授けられ、その中には明瞭なもの、また不明瞭なものがあります。例えば、彼は天地を人類の栄誉のために創造しました。

 “神 こそは、天と地を創造され、天から雨を降らせ、これによって果実を実らせられ、あなたがたのために御恵みになられる方である。また船をあなたがたに操縦さ せ、かれの命令によって海上を航行させられる。また川をあなたがたの用に服させられる。またかれは、太陽と月をあなたがたに役立たせ、両者は飽きることな く(軌道)を廻り、また夜と昼をあなたがたの用に役立たせられる。またかれはあなたがたが求める、すべてのものを授けられる。たとえ神の恩恵を数えあげて も、あなたがたはそれを数えられないであろう。人間は、本当に不義であり、忘恩の徒である。”(クルアーン14:32−34)

神 によって与えられた人類の地位は、イスラームにおける人の尊厳の原則を形成します。それは、その人がムスリムかそうでないかに関わりません。イスラームで は全人類の起源は同一であることを強調し、各人にはそれぞれ特定の権利が帰属されているのです。神はこう述べています。

 “人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。神の御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当に神は、全知にしてあらゆることに通暁なされる。”(クルアーン49:13)

神の使徒は、当時のアラブ史上最大の合同集会だった最後の説教で、このように説いています。

 “人々よ、あなたがたの主が御独りであること、あなたがたの父祖も一人であることを知るのだ。篤信を除いては、アラブ人が非アラブ人に、非アラブ人がアラブ人に、白人が黒人に、黒人が白人に優越性を持つわけではないことを知りなさい。”1

非ムスリムの尊厳を保つ一例としては、彼らの感情が尊重されることです。例えば彼らとの会話では礼節をもって接されます。

 “ま た啓典の民と議論するさいには、立派な(態度で)臨め。かれらの中不義を行う者にたいしては別である。それで言ってやるがいい。「わたしたちは、自分たち に下されたものを信じ、あなたがたに下されたものを信じる。わたしたちの神とあなたがたの神は同じである。わたしたちはかれに服従、帰依するのであ る。」”(クルアーン29:46)

非ムスリムは、彼らの宗教を嘲笑されてはならない権利を持ちます。他の信仰を持つ人々に対してここまで寛容なのは、いかなる宗教・宗派を見渡しても、イスラーム以外に存在しないと言っても過言ではないでしょう。次のクルアーンの一節を見てみましょう。

 “言ってやるがいい。「天地からあなたがたに扶養を与えるのは誰なのか。」言ってやるがいい。「神であられる。要するにわたしたちか、またはあなたがたのどちらかが導きの上にあり、どちらかが迷っている。」”(クルアーン34:24)

こ の節は、アラビア語言語学者らによって修辞学的質問と呼ばれる方法によって締められており、その質問の答えは意図する対象にとっての一般的知識となりま す。この節は確実性に疑問性を融合します。導きに従うムスリムと、不信仰者の過ちが何らかの確証的でないものとして呈されることにより、神は読者が自らの 答えを導きだすことによって真実を強調させるのです。神はこの節で誰が導きに従い、誰がそうでないかについて述べているのではありません。この節では議論 を提示し、傍聴者に自ら判断させることによって「仮想敵」に公正な処遇を与えているのです。言語学者でありクルアーン解釈学者でもあるアッ=ザマフシャ リーはこの点についての考えを詳述します。

「こ れは公平な言葉である。誰であってもこれを聞くのであれば、支持者であれ反対者であれ、その言葉が向けられた人物に対し、発言者が公正な対応をしたことを 告げるであろう。それは議論の提示後、誰が導きに従い、誰が誤信を犯しているのか、聞き手を必然的な結論へと導くのである。もし問題が難解な場合は、事実 の示唆をすることによって、真実の説得力ある証明を提供するだけでなく、激しい議論に陥ることなく相手の気持ちを和らげることも出来るのである。」2

クルアーンにおいて用いられているこうした形式の例としては、ある人物が議論において「神は誰が真実を述べ、誰が嘘をついているのかお見通しである。」と発言するようなものです3

ま た神は、ムスリムが非ムスリムによって崇拝されている神々や偶像について中傷することを禁じられています。そうすることによって唯一・真実の神が中傷され ないためです。同様の例はいかなる経典、または世界宗教においても見出すことは困難でしょう。もしムスリムたちが多神教の神々を中傷するのをその信者たち が聞いたのであれば、それは彼らがアッラー(唯一神の正式な名称)を中傷することへとつながるでしょう。また、もしムスリムたちがそれらの神々を中傷する と、多神教徒たちは彼らの傷心をムスリムの心を傷つけることによって癒そうとするでしょう。そういった筋書きは双方の尊厳に背いたものであり、相互の拒絶 や憎悪に結びつきます。神はクルアーンにおいて述べています。

 “あ なたがたは、かれらが神を差し置いて祈っているものを謗ってはならない。無知のために、乱りに神を謗らせないためである。われはこのようにして、それぞれ の民族に、自分の行うことを立派だと思わせて置いた。それからかれらは主に帰る。その時かれは、かれらにその行ったことを告げ知らされる。”(クルアーン6:108)



Footnotes:

1 ムスナド・アフマド

2 Zamakhshiri, ‘Kashhaf,’ vol. 12, p. 226

3 Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p. 17

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