利点と信仰の果実

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アリ アル サラビーより。

彼の恩恵の元、全能のアッラーは信仰する者の心は信仰の果実(イマーン)を感じ、味わうと定め、最終的に彼らはアッラーの喜びと彼への信頼を得る為に競うでしょう。実に、果実の木が強く、深く根付き、広範囲に分岐してその緑のもやし、現世と来世においてそれを見る人の為だけの利点ではなく、他の者にも完全な利点となるでしょう。

多くの偉大な恩恵や信仰の果実があるように、全能のアッラーは彼の崇高な書で次のように描写しています:

  • アッラーの保護を楽しみます。これは実に信仰者が競う事のできる最高の報酬です。全能のアッラーは仰せられました:「見なさい。アッラーの友には本当に恐れもなく,憂いもないであろう。」(ユーヌス章:62節)

そして全能のアッラーは彼のアウリヤー(敬虔で従順な奴隷)を彼の言葉で表現しておられます。

「かれらは信仰し,(アッラーを)畏れていた者たち。」(ユーヌス章:63節)

本当にアッラーは彼の言葉にあるように、すべての敬虔な信仰者の保護者です。:

「アッラーは信仰する者の守護者で,暗黒の深みから,かれらを光明の中に導かれる。」(雄牛章:257節)

この節で全能のアッラーは聖徒を不信の闇から信仰の光へともたらすことを意味し:無知の暗闇から知識の光へ:罪の闇から服従の光、そして過失の闇から彼を知り唄念する光に。最終的には、全能のアッラーは彼を信仰する奴隷を、様々な形態の闇から現世と来世の善の光へと導くでしょう。

信仰する者は彼らのしっかりとした信仰の為、驚異的な報酬を獲得します。このような根付いた信仰は信心深さを除いては決して達成することはできません。

  • アッラーの喜びと好意を得る。全能のアッラーは仰せられました。:「男の信者も女の信者も,互いに仲間である。かれらは正しいことをすすめ,邪悪を禁じる。また礼拝の務めを守り,定めの喜捨をなし,アッラーとその使徒に従う。これらの者に,アッラーは慈悲を与える。本当にアッラーは偉力ならびなく英明であられる。アッラーは,男の信者にも女の信者にも,川が永遠に下を流れる楽園に住むことを約束された。また永遠〔アドン〕の園の中の,立派な館をも。だが最も偉大なものは,アッラーの御満悦である。それを得ることは,至上の幸福の成就である。」(懺悔章:71節と72節)

信者は自分自身で培った信仰を通じて、全能のアッラーの命令と彼の預言者(彼に平安あれ)に従うことでアッラーの喜びと慈悲と美しい住居を獲得しました。彼らはまた、悪を禁じ、善を奨励する事で報酬を得ました。このようにして、彼らは高貴な方法と豊富な目的に着手しました。これはアッラーの偉大な好意です。

  • 全ての悪と災難からアッラーの援助と救済を得ると彼の言葉にこうあります。:「本当にアッラーは,信仰する者を守護なされる」(巡礼章:38節)

この節は全能のアッラーが全ての悪とジンと人間の悪魔から信者を守るという意味です。アッラーは彼らの敵の企てに対して彼らを保護し、彼らにそれが降りかかる前に苦難を和らげ、彼らが行った後、それらを容易にします。

これは預言者ユーヌスの言葉ではっきりとしています。:

「またズン・ヌーンである。かれが激怒して出かけた時を思いなさい。かれは,われが自分を難儀させるようなことはないと思いながらも,暗闇の中で,「あなたの外に神はありません。あなたの栄光を讃えます。本当にわたしは不義な者でした。」と叫んだ。」(預言者章:87節)

アッラーは即座に彼の言葉によって彼の懇願に応答しました。

「それでわれはかれに応え,かれをその苦難から数った。われはこのように,信仰する者を救助するのである。」(預言者章:88節)

この節はアッラーが彼の預言者であるユーヌスを苦難から援助したように、彼の信仰する奴隷をも援助すると意味します。預言者ユーヌス(彼に平安あれ)は言いました。「実に誰であろうと、全能のアッラー以外に私の兄(預言者)ユーヌスの言葉で、彼の困難を柔らげるよう求める者はいません。「あなた以外に崇拝に値する御方はおらず、高貴なお方、私はまったく悪人でした。」

全能のアッラーは仰せられました。

「本当にアッラーを畏れる者には,かれは事を容易になされる。」(離婚章:4節)

したがって、敬虔な信者は全能のアッラーによって物事を容易にして下さり、正義と容易な道へと導いて下さいます。彼は罪と困難の道から遠い所にいらっしゃいます。

全能のアッラーは信仰する者を困難から送り出し、全ての困難な事柄から逃れる術を与えてくれるでしょう;そしてアッラーは彼らが予想もしていなかったところから支給を与えて下さいます。クルアーンとスンナにはこれを証明する多数の証拠があります(1)

  • その枝である信仰と正義は現世と来世において、満足と幸福の人生に繋がるのです。

全能のアッラーは仰せられました:

「誰でも善い行いをし(真の)信者ならば,男でも女でも,われは必ず幸せな生活を送らせるであろう。なおわれはかれらが行った最も優れたものによって報奨を与えるのである。」((蜜蜂章:97節)

正義は静穏と満足と心の請け合いを作りだします。また現世の幸せの原因である全能のアッラー以外への依存を妨げます。

なぜなら幸せは次の事に元ずくからです。:心の安楽、その静穏、そして信仰に欠ける者の経験による妨害と混乱の不在。

  • 健全な心は健全な信仰を作り出します。全ての言葉と行動は、話し手と行動を行う者個人の心にある正直さと健全な心と一致して初めて正常です。こういった理由で全能のアッラーは、この全ての行動による重要な条件と必須条件を彼の次の言葉で言及しています:

「誰でも善行に励み,信仰している者は,決してその努力を虚しくされることはない。われはかれらのために,必ず(それを)記録している。」(預言者章:94節)

別の言葉で言うと、信者の努力は否定される事はなく、彼の言葉は失われる事はないでしょう。むしろ、彼の報酬は心の信念の強さによって何倍にも増加するでしょう。全能のアッラーは仰せられました。

「しかし誰でも来世を望み,それに向かい精出し努力し,信仰する者,これらの者の努力は嘉納される。」(夜の旅章19節)

来世(つまり楽園)の為に努力する事は、楽園に繋がる様々な多様の行いに取りかかり、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)によって教えられたように、あなたを楽園に近付けることです。もしこれらの行いが設立され、信仰に基付いて構築された場合、それは報われ、受け入れられ、全能のアッラーによって報酬が倍増され、それらのどれもが失われたり、報酬なしで行くことはありません。

しかしながら、もし、それらの行いが信仰に基付いたものでなければ、どれほど努力をしたかどうかは意味をなしません。そのような行いは全能のアッラーには受け入れられません。全能のアッラーは仰せられました。

「われはかれらの行ったことに報いて,それを塵のようにまき散らすであろう。」(識別章:23節)

それは、全能のアッラー以外への信仰に基付き、彼の預言者(彼に平安あれ)の伝統を守り全能のアッラーへ誠実ではなかったからです。全能のアッラーは、

「言ってやるがいい。「誰が行いにおいて最大の失敗者であるか,告げようか。つまり自分では善いことをしていると,かれらは考えているが,現世の生活においての努力が,凡て間違った道に行ってしまうような者たちである。これらの者は,主の印,また主との会見を信じない者たちで,かれらの行いは無駄になり,われは審判の日にかれらにどんな目方も与えないであろう。(洞窟章:103―105節)

彼らは彼らの信仰を良い事には使わず、全能のアッラーと彼の兆しへの不信仰と取替えて、彼らの行いは失われました。全能のアッラーは仰せられました。

「われは既にあなたに啓示した。あなた以前の者たちに(啓示)したように。もしあなたが(邪神をわれに)配したならば,(現世における)あなたの行いは虚しいものになり,必ず失敗者となるのである。」(集団章:65節)

「これはアッラーの導きであり,かれはそのしもベの中から,御好みになられる者を導かれる。もしかれらが(神々をかれと)並べたならば,凡ての行いは,かれらにとって,虚しいものとなろう。」(家畜章:88節)

こういった理由で、イスラームを容認する事が以前の全ての罪を廃止するのと同様に、どれほど偉大な人間であったとしても背教は人間の善行を無にします。また信仰を妨げたり弱める全ての罪からの後悔は、これらの罪を消し去ります。(2)

  • アッラーの定めに満足する事。信仰の利点の中で、それが指導の正しい道に信仰深い者を導くというものがあります。またそれは人間が愛し探求する者を与えられ感謝する事と、困難と災難に苦しまれた時に忍耐と容認へ導くように、利益のある知識への保持とその実践へも導きます。全能のアッラーは仰せられました。

「本当に信仰して善行に励む者には,かれらの主は,その信仰によってかれらを導かれる。至福の楽園の中に,川はかれらの足元を流れるのである。」(ユーヌス章:9節)

「どんな災厄も,アッラーの御許しなく起きることはない。誰でもアッラーを信仰する者は,その心を導かれよう。本当にアッラーは,凡てのことに通暁なされる。」(騙し合い章:11節)

この節を説明する上で、シャイフ シャウワカニはこう言及しています。「これは困難に遭遇した者の事で、それは全能のアッラーに齎されたのでそれを受け入れ、アッラーの意思に沿いなさい。(3)」

おそらく信仰の最大の利点とは、苦難と困難に合う頻繁な実例で安楽を承諾する事です。信仰を保つ事と(アッラーの報酬と慈悲)を確信する事は、全てのそのような実例においてとてつもない癒しとなり、そのような状況に対応する事を容易とします。それは何故なら、人間の全能のアッラーへの信仰の強さと全能のアッラーへの信頼とアッラーの報酬と賜物への希望は、どのような困難を通しても忍耐を維持する事の辛さと痛みを軽減します。

全能のアッラーは仰せられました、

「あなたがたは,敵を追うことに弱音を吐いてはならない。あなたがたが苦難に陥った時は,かれらもまた同じように苦しんでいる。しかもあなたがたは,アッラーからの希望が持てるが,かれらにはない。アッラーは全知にして英明であられる。」(婦人章:104節)

  • 信仰の利点と果実の中で、アッラーが彼の言葉の中で仰せられています:

「信仰して善行に励む者には,慈悲深い御方は,かれらに慈しみを与えるであろう。」(マルヤム章:96節)

他の言葉で言い換えると、彼らの信仰と彼らが行う事柄の為に、全能のアッラーは信仰する者へ愛を授け、彼らに他の信仰する奴隷の愛をもたらします。明らかに、全能のアッラーと彼への信者に愛される者は、幸福と成功と素晴らしい利点を達成します。他の信仰者に愛される信者は現世の間と死後にも祈りを捧げてくれるでしょう。(4)

全能のアッラーはそのような信者のイマーム(リーダー)を作り、それだけでも途方もない祝福です。実に、全能のアッラーの「指導するイマーム」という階級を維持する者は、彼らの信仰が彼らの知識と善行を完璧なものとし、全能のアッラーは他の者に彼らに対して祈る事を許可し、彼らの英雄と尊敬を変わらず言及し続け、彼らはアッラーの最も栄光である報酬の一つを本当に与えられた者でしょう。

こういった理由で、全能のアッラーは仰せられました。

「われは,かれらの間から,わが命令を下して(人びとを)導く導師をあげた。かれらはよく耐え忍びまたわれの印を堅く信じていた。」(アッサジダ章:24節)

忍耐と確実性を通して、これらの信者が維持した信仰の土台を守るものと信仰の完全性を示すサインで、全能のアッラーの優美によってイマームという順位を得ます。

  • この利点はアッラーのお言葉に由来します。

「アッラーはあなたがたの中信仰する者や,知識を授けられた者の位階を上げられる。」(抗弁する女章:11節)

(知識を有する)信者は現世と来世によって、アッラーの最上の階級にあります。この階級は彼らの確信性と知識と信仰の健全性を通して得られたものです。実に、知識と確信性は信仰の土台です。

  • 神の恵みの吉報とすべてに関しての完全な安否を提供します。全能のアッラーは仰せられました。

「なお(これらの)吉報を信者たちに伝えなさい。」(雄牛章:223節)

全能のアッラーは現在か将来においてどうであるかに関わらず、全ての形態の良い事全てを含むように一般的な言葉を仰せられました。他の例では、全能のアッラーは何が吉報であるかを指定します。例えば、

「信仰して善行に勤しむ者たちには,かれらのために,川が下を流れる楽園に就いての吉報を伝えなさい。」(雄牛章:25節)

そして信仰する者は一般で言う全ての良い者を吉報として、そしてアッラーの指定した報酬と慈悲を与えられます。

このような信者は絶対的な安全を与えられます。全能のアッラーは仰せられました。

「われは,吉報の伝達者か警告者の外には,使徒を遣さない。だから信仰して身を修める者には,恐れもなく憂いもないであろう。(家畜章:48節)」

そして彼らが体験したり、経験した悲しみと彼らが予測される恐怖を分かち合う事で、全能のアッラーは様々な困難から完全な安全を与えられます。信仰者は、故に現世と来世においてのアッラーの保護を与えられます。これは違った困難と悪に対する安全を含むように、アッラーの怒りと罰に対しての保護を含みます。

彼らは、全ての形態の吉報を与えられます。何故なら全能のアッラーは仰せられました。

「かれらに対しては現世でも,来世においても吉報がある。」(ユーヌス章:64節)

全能のアッラーは次の章で吉報について更に、明確にします。

「本当に,「わたしたちの主は,アッラーであられる。」と言って,その後正しくしっかりと立つ者,かれらには,(次から次に)天使が下り,「恐れてはならない。また憂いてはならない。あなたがたに約束されている楽園への吉報を受け取りなさい。(と言うのである)。われは現世の生活においても,また来世においても,あなたがたの友である。そこではあなたがたの魂は望むものを得,そこではあなたがたの求めるものが得られる。寛容にして慈悲深い御方からの歓待である。」(フッスィラ章:30-32節)

「あなたがた信仰する者よ,アッラーを畏れ,かれの使徒を信じなさい。かれは倍の慈悲を授け,また光明をあなたがたのために設け,それで(正しい道を)歩ませ,またあなたがた(の過去の罪業)を赦される。本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」(鉄章:28節)

全能のアッラーは、現世と来世においてのこれらの信者が歩む光の完全性の為に、また指数関数的な報酬の為に、信仰を前提条件としました。

「その日あなたは,信者の男と信者の女の,前の方や右側に,かれらの光が走るのを見るであろう。(かれらには言われよう。)「今日は,あなたがたへの吉報がある。川が下を流れる楽園のことである。永遠にその中に住むのである。それこそは,本当に偉大な幸福の成就である。」(鉄章12節)

信者は人生において、信仰と知識の光の中を歩く者です。そして審判の日にその光が消滅した時は、楽園に入る事を許可されるまで、信仰する者は全能のアッラーが与えてくださった光の中のシラート(全ての人が歩かなければいけない道)を歩いていくでしょう。

全能のアッラーはまた容赦する、許す事は信仰の結果と判定されました。明らかに、その者の悪行が許された者はアッラーの罰から逃れ、報酬を手にします。(6)

  • 信仰深い奴隷は完全な繁栄を維持します。ここで言う繁栄と成功とは、人が恐れる全ての事柄から逃れながら、究極の目的に達する事で、これは全ての良いことに達成する為の最高に栄誉のある手段です。

これは全能のアッラーが、彼の預言者ムハンマド(彼に平安あれ)に明らかにしたものを信じる者に言及し、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)以前に彼が明らかにしたものを信じる者に言及し、目に見えないものを信じた者とザカーと礼拝、信仰の最高の利点である幾つかのものを言及した後に、言及されたものです。またこれらの特性に言及した後、全能のアッラーは仰せられました。

「これらの者は,主から導かれた者であり,また至上の幸福を成就する者である。」(雄牛章:5節)

これが完璧な教えで、完璧な成功です。

それ故に、全能のアッラーが明らかにした全ての書物(聖典)と、全能のアッラーが送った全ての使途に完全な信仰がある者以外は、成功と幸せをもたらす唯一の教えと成功を得る事はないでしょう。実際に、指導とは最高の手段で、成功は最も完全な目的です。(7)

  • 信仰を保持する者は、アッラーの警告と印と注意から本当に利益を得ます。全能のアッラーは仰せられました。「だが訓戒しなさい。訓戒は信者たちを益する。」(撒き散らすもの章:55節)

「本当にこの中には信仰する者への一つの印がある。」(アル ヒジュル章:77節)

これは何故なら信仰は信者に真実に固執し、彼らが知る事と知らない事に関して両方に、従うように援助するからです。信仰とは実に真実を学び理解し、それに続く全ての印を理解する為の最高の道具です。信仰と共に、学ぶ者が真実を学び、それを実践する事を妨げるものは何もありません。

信仰は人間性と意図を更に純粋にもします。そのような純粋さを備えるものは、アッラーの印から利点を得ずにはいられません。こういった性質を所持しないものは、しかしながら、その真実を受け入れ、従えない事に驚くべきではありません。こういった理由で、全能のアッラーは不信仰者は彼らの心にある信仰の拒絶と不信仰が原因で預言者(彼に平安あれ)に従う事ができないと公表します。実に、真実は率直で明らかであり、それに導く印も同じです。不信仰こそが、真実を認め、従う事への最大の妨げです。不信仰者はそれ故に、アッラーの印を見て理解する事ができない事に困惑するべきではありません。何故なら、不信仰の犯罪とは、信仰者に真実の証拠が掲げられた時にそれに感謝する事を妨げる事だからです。(8)

  • 信仰とは人間の宗教に対する確信に対して否定的な理由となった経験によって起こる疑心を妨げます。全能のアッラーは仰せられました。「本当に信者とは,一途にアッラーとその使徒を信じる者たちで,疑いを持つことなく,アッラーの道のために,財産と生命とを捧げて奮闘努力する者である。これらの者こそ真の信者である。」(部屋章:15節)

これは、彼らの健全な信仰が疑心という形で経験された何事をも追い払い、ジンと人間の間に存在する悪と、また自分自身の中にある悪によって植えつけられた疑いの発生を防ぎます。これらの全ての危険は健全な信仰なくしては治癒される事はできません。

この事実は真正な預言者の言葉で、アブーフライラによって預言者(彼に平安あれ)は次のように言ったと確証されていますぅ。「人々は自分自身に次のように答えるまで質問を尋ね続けるでしょう。「アッラーは創造物を創造されました。ではアッラーを創造したのは誰ですか?」あなたがもしこのような質問をするのであれば、こう言いなさい。「私はアッラーを信じます。」(9)他の語りでは、預言者様は、「あなたはアッラーに助けを請うべきで、そのような質問をするべきではありません。」(10)

預言者(彼に平安あれ)は次の三つの点でそのような状況にどのように接するべきであるか描写されました。:

  • そのような事を考えるのは止めて、それによってシャイターン(悪)の呟きを妨げる。
  • 人々を間違った道へと導く意思で、疑いの種をまく事に使用し、そのような質問を植える者の悪から全能のアッラーへ援助を捜す。
  • 健全な信仰へしっかりと掴まり、そのような疑いからの安全を見つける為に、誰もが健全な信仰へとしっかりと掴まるべきです。

虚偽の虚偽は、多くの手段を通じて明らかになっています。その最大の虚偽は、真実を構成するものと真実と知られているものに反する事です。真実に反するものは全て、偽りや偽にしかすぎません。全能のアッラーは仰せられました。

「真理から離れては,虚偽の外に何があろう」(ユーヌス章:32節)

信仰は信仰者を苦しめる全てのものからの援助です。実に、私達一人一人を悩ませる全ての例と罪と服従と安全と恐れ、また幸せと悲しみの時においての援助です。

したがって、恐れを感じる時、信者は彼の信仰に援助を求め、そうする事で彼の信念に更に強めることになります。彼はまた苦難に向かう勇気を見つけ、直ちに彼が恐れを感じた事のあるでき事をより管理しやすく、それほど重要なものとしないでしょう。彼の奴隷の中で最良の者を言及する上で、全能のアッラーは仰せられました。

「人びとが,かれらに向かって言った。「見なさい,あなたがたに対して大軍が集結している。かれらを恐れるべきである。」だがこのことが却ってかれらの信仰を深めた。そして「わたしたちには,アッラーがいれば万全である。かれは最も優れた管理者であられる。」と言った。だからこそかれらは,アッラーの御恵みと恩恵に浴して帰って来た。艱難にも遭遇しないで」(イムラーン家章:173-174節)

これらの信者が何を恐れていたとしても、結果として彼らの心の中では卑しく重要なものではなくなり、強固な信仰の感覚とそれと共に感じる安全へと取って代わるでしょう。彼らの心は共に、彼らに約束された全ての事への確かな証拠と全能のアッラーへの依存として埋められるでしょう。

従順と正義の行いを実践する時において、このような信者は全能のアッラーこそが、彼の指導は良い健康と財産の恵み以上の恵みであり、彼こそがそのような善行へと導いて下さると認識する事で彼らの信念においてアッラーにご加護を求めます。そのような善行が全能のアッラーによって付与されると認識する事で、これらの信者は彼らの行いを完璧にし、彼らがより完全で全能のアッラーに受け入れる為、また彼に否定されないように、できる限りの事を行います。

このような段階の信念を持つ信者は、アッラーが彼らを正しい道へ導いた後、全能のアッラーに彼らの行いを受け入れてくださるように願い、彼らの行いを更に完全にし、受け入れられるように努力する事で彼らを罪人とするどのような欠点をもお許し下さるように願う者です。全能のアッラーは仰せられました、

「これらの者は凡て善事に急ぎ,その先頭に立つ者である。」(信者たち章:61節)

このような奴隷は罪に陥るとすぐに懺悔することと、彼らが行ったどのような悪行も取り除く為にどのような善行を行うことで、信仰に助けを求めます。

全能のアッラーは仰せられました。

「本当に主を畏れる者は,悪魔がかれらを悩ますとき,(アッラーを)念ずればたちどころに(真理に)眼が開くだろう。」(高壁章:201節)

彼らがどのような状態で、どのような状況であろうとも、信念に立ち向かうどのようなものも彼らから削除してそのような信念を実現する為に必要な事を行い、その信仰で信者はご加護を求めます。これはもちろん、アッラーの優美と慈悲におけるものです。(11)

この文章を短く終える為に、上記の素晴らしい利点―全能のアッラーによって明らかであるーを述べる事で充分であります.  よって、全能のアッラーは全ての物事を明確にし、信仰に関する全ての事、その相違する範囲と利点、信仰を得る為の手段も明確に表して下さいました。全能のアッラーは世界の高貴な主、最もご存知であられる、最も賢い御方にふさわしい唯一の知恵を示し、その利点や果実を述べる事によって信仰を獲得するように促して下さいます。

全能のアッラーは信仰は人の心、自分の舌でその信念を裏付け、そして自分の行動と実践と信念を構成していると、彼の書物で述べています。

私達は正しい真っ直ぐな道を全能のアッラーが示してくださるように願い、彼の属性のいずれかを否定したり、彼の想像物に見立てようとする悪から私達の心を浄化してくださるように願います。私達は正直さと得の道から迷い、現実を歪曲する革新の人々の道に従う過失と過激からの安全を願います。確かに彼らは預言者の同胞と真剣に彼らの足跡に続く人達(法学者やハディ―ス学者)の理解から逸れたのと同じように預言者(彼に平安あれ)の教えとアッラーの聖典からも逸れました。

Islam Todayより抜粋

[1] アッタウディー ワル バヤーン。67

[2] イマーム ムハンマド イブン アリ アッシャウカーニ、後アッサガーニ アル カーディになる。彼はハディース学者であり、法学者であり法律理論家でムファシールです。彼のタフシールはファトウル カディールと名付けられ、1250Hに亡くなりました。マナーヒジ アルームファシリンを参照(p50)

[3] アッシャゥカーニ、ファトウル カディール(5/231)

[4] アッタウディー ワル バヤーン p76.

[5] アッタウディー ワル バヤーン

[6] アッタウディー ワル バヤーン p79

[7] アッタウディー ワル バヤーン p80

[8] アッタウディー ワル バヤーン p81

[9] ムスリムの伝承、キターブ アルイマーン、バヤーン アル ワスワサ フィーエディーン 1/119

[10] ムスリムの伝承、キターブ アルイマーン、バヤーン アル ワスワサ フィーエディーン 1/119

[11] アッタウディー ワル バヤーン p85

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