定命への信仰

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ムスリムは、アッラーが全ての物事が存在する以前から、そしてそれらが存在した後のことも全てご存知であられるということを信じます。ゆえにかれはその知識とご意志において、全ての存在を存在せしめたのです。アッラー(I)は仰りました:

-実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。,(クルアーン54:49)

過去や現在、未来に関わりなく、発生する全ての事象はアッラーの御知識のもとにもたらされます。全てはかれのご意志と裁定に沿っているのです。預言者ムハンマド(r)はこう言いました:

「しもべは良いことであれ悪いことであれ定命を信じ、また既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかったことがそもそも起こることにはなっていなかったということを知るまで、信仰したことにはならない。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

しかしこの信仰が、人は努力しなければ物事を達成しないという事実と矛盾することはありません。たとえば子供が欲しいのであれば、結婚するなどのある種の物事を行わなければ、その目的を達成出来ません。そして彼がその能力において可能な全てのことを行ったとしても、彼はその目的を叶えることが出来るかもしれませんし、あるいは出来ないかもしれません。これは人が何らかの目標を達成するために行うことのみが、それが実現するための真の理由ではないことを知るためなのです。真の理由とはアッラーのご意志以外の何でもなく、それら目的達成の手段もまたアッラーからの神的裁定によるものなのです。ある時預言者ムハンマド(r)は、ある者にこう訊ねられました:

「アッラーの使徒よ。私たちは薬をもって治療し、クルアーンでもって魔除けを行いますが、果たしてこれらはアッラーの定命を覆すのでしょうか?」彼は応えました:「それら自体がアッラーの定命の内なのである。」(アル=ハーキムの伝承)

飢えや渇き、寒さなどもまた定命によるものです。そして人は食物の摂取によって飢えを、飲料の摂取によって渇きを、暖を取ることで寒さを凌ぐことが出来ます。人は飲食や暖を取ることなど、既に定められている物事によって飢えや渇き、寒さなどから身を防ぐことが出来るのです。つまりある種の定命でもって、別の定命を防ぐのです。

そして人間は、可能な限りの手段を尽くしてこの目的を達成するべきですが、このことも定命への信仰の一部と見なされるのです。この信仰により人は、物事がいかなる結末を迎えようとも満足するようになります。また定命への信仰は、ストレスや心配、悲しみなどに代わり、心の平安と精神の安定をもたらします。不安や心配は多くの病の原因となりますが、この信仰はこのような病に治療法と予防法を提供しているのです。アッラー(I)はこう仰っています:

-地上で、そしてあなた方の内に起こるいかなる災難も、それが創造される前にアッ=ラウフ・アル=マフフーズ(護られた碑版)の中に定められていないことはないのである。実にそのようなことはアッラーにとって容易いことなのだ。それはあなた方が過ぎ去ったことに後悔せず、(アッラーが)あなた方に与えられたものにおいて悦に入らないようにするためである。アッラーは全ての自惚れ屋と高慢な者を愛でられない。,(クルアーン57:22-23)

定命への信仰は、アッラーがこの宇宙に創造したものの探索や研究へと促します。たとえば病気などの災難は人にその治療法を模索させますし、そしてそれはアッラーがこの宇宙に創造した医療の源泉を探索することによって得られるのです。

またこの信仰により、降りかかった災難の苦しみや、過ぎたことに関しての後悔の念を抑えることが出来ます。財産を失うことは一つの苦難ですが、人がそれによって悲しめば二つの苦難‐つまり災厄による苦難と、悲痛による苦難‐を蒙ったことになります。しかし定命を信じる者はそれが起こるべくして起こったと信じているため、どのような結果になろうともそれを喜んで受け入れるものなのです。預言者ムハンマド(r)はこう言っています:

アッラーは脆弱な信仰者よりも、強い信仰者を愛でられる。そしてそのいずれも善いのである。あなたを益する行為に熱心であり、かつアッラーのご援助を乞うのだ。そしてそこにおいて怠慢であってはならない。そしていかなる災厄があなたを襲っても、“ああ、もしあのようにしていたらなあ”などとは言わず、“これはアッラーからの定命。かれはお望みのことをなされる”と言うのだ。というのも“もし”は、シャイターン(悪魔)の行いに通じる扉であるからである。」(ムスリムの伝承)

定命への信仰はアッラーへの依存心を高め、被造物に対する恐怖感を取り除きます。教友イブン・アッバース(t)はこう言いました:

「ある日私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)の後ろにいました。彼は私にこう言いました

“少年よ。お前にある言葉を教えてやろう。それを心に書き留めて堅守するのだ。そうすればアッラーがお前を護って下さるだろう。アッラー(があなたに命じ禁じられること)を守るのだ。そうすればかれを眼前に見出すであろう。何かを乞うときはアッラーに乞うのだ。そして援助を求める時はアッラーに援助を求めるのだ。そして知るのだ。全ての者があなたを益しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを益することがない。また全ての者があなたを害しようと一丸になっても、アッラーがあなたに対して既にお定めになられたこと以外は何一つあなたを害することがない。(定命の)筆は既に置かれ、(それが書き留められる)ページ(のインク)はもう乾いてしまったのである。”(アフマドとアッ=ティルミズィーの伝承)

定命への信仰とはある種の人たちが考えるように、努力やそのために必要なこともせずに、ただアッラーに頼り切ることではありません。預言者ムハンマド(r)はある時、このように尋ねられました:

「私はラクダをつないでアッラーに全てを委ねるべきですか、それともそれを放してアッラーに全てを委ねるべきですか?」彼は言いました:「それをつないでアッラーに全てを委ねよ。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

また彼は、こうも言っています:

私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。外に出かけて木を切り、それを縛って背中に運ぶことの方が、人に物乞いするよりもよいことなのである。それにより、彼が金銭を得るかどうかはまた別の話なのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

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