敬意(下)

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前回、私たちはお互いへの敬意、また環境や自分自身への敬意がいかにイスラームに内在するものである かについて考察しました。私たち自身、そして私たちの周りにあるもの全てに敬意を示すという概念は、神への完全なる服従、そして私たちがいかにして、そし てなぜ神の御意に従わなければならないのかという理解抜きにしては可能ではありません。神はクルアーンのなかで、私たちの人生における唯一の目的について 喚起します。

 “ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。”(クルアーン51:56)

神への崇拝とは、一日中同じ場所に留まって祈り続けることではなく、現世的生活を放棄して隠遁生活に入ることでもありません。それは神への義務を果たし、神が私たちの意識と発言のなかに常にある状態の ことを言います。日常的でありふれた所作でも、創造主のご満悦を得るために行われたのであればそれは崇拝となります。礼拝や断食、喜捨などの義務を果たす ことは、感謝と謙遜の意識をもってなされることにより崇拝行為となります。神は自存者・全能者であるため、私たちを必要とはされません。私たちこそが、神 を必要としているのです。神こそは私たちが存在する原因であり、私たちが人生を築き上げるべき基礎なのです。

目的なく生きられる人生の向かうところは、喪失以外の何でもありません。

 “時間にかけて(誓う)。本当に人間は、喪失の中にいる。信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を勧めあう者たちの外は。”(クルアーン103:1−3)

しかし、人生を目的によって満たすことは満足感をもたらし、それによって私たちはお互いに、そして自分たち自身に敬意を 示すことが出来るようになります。神への敬意とは、神に従うことです。神に従うこととは、私たちが他人の敬意に値するような、特別な地位にあることです。 神への服従の失敗は、敬意を欠いた人生につながります。お互いを軽蔑し、噂話をし、陰口をたたくことは、私たちの人生における敬意の欠如を意味します。他 人への嘘・詮索・悪口といった大罪に携わることは、私たちが他人からの敬意に値しないことも意味するのです。

嘘をつくことは、社会における腐敗の大きな原因の一つです。それがどのような形であれ、嘘は人々の間に敵意を生み出し、敬意を損なわせますが、最も不快な形の嘘とは、神またはその諸預言者・諸使徒に虚偽の物事を帰すことです。イスラームは嘘を禁じ、信仰者が正直者であるよう求めます。クルアーンの言葉はそのことを証言します。神はこう仰せられました。

 “あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい。”(クルアーン9:119)

 “知識もなく人を迷わせるために、アッラーに就いて虚偽を捏造するより、甚だしい不義があろうか。”(クルアーン6:144)

預言者ムハンマドにまつわる伝承からは、彼が追従者たちに対して正直であることを心がけ、虚偽に内在する害悪から遠ざかるよう、たびたび勧告していたことが分かります。

 “嘘をつくことがないよう心がけるのだ。嘘は不道徳につながり、不道徳は地獄の業火につながるのだから。”

彼の最大の敵の一人だった人物でさえ、預言者ムハンマドが正直者で、正直であるよう呼びかけていたことについて証言しています。アブー・スフヤーンは預言者をひどく嫌っていましたが、彼が追従者たちに礼拝をするよう、正直者であるよう、また近親関係を維持するよう命じていたことを明らかにしています

詮索

預言者ムハンマドは追従者たちに対し、他人を詮索しないよう警告しています。彼はこのように述べています。

 “嫌疑をかけることのないよう、心がけるのだ。それは最も正しくない発言なのだから。盗み聞きしてはならない。お互いにこそこそと詮索し合ってはならない。お互いに嫉妬してはならない。お互いに断交してはならない。お互いに憎悪してはならない。神のしもべたちよ、同胞となるのだ。”

神ご自身も、私たちが嫌疑をかけることのないよう、喚起しています。神はこのように仰せられました。

 “邪推の多くを祓え。本当に邪推は、時には罪である。無用の詮索をしたりまた互いに陰口してはならない。”(クルアーン49:12)

イスラームにおいて、他人の秘密を探ったり、それを暴露したりすることは許されていません。盗み聞きしたり、個人的なことに関わる質問を多くしたり、詮索やそれに関連する物事全ては、他人のプライバシーの侵害であり、神に背く行為であるため禁じられています。

偉大なるカリフとして知られ、多くの人々の尊敬を集めたウマル・ブン・アブドル=アズィーズは、悪意のこもった噂話を回してきた人物にこう言いました。

 “もしあなたが御望みなら、この件について調べてみよう。もしあなたが嘘をついているのであれば、あなたは神が“もし邪な者が情報をあなたがたに齎したならば、慎重に検討しなさい。これはあなたがたが、気付かない中に人びとに危害を及ぼし、その行ったことを後悔することにならないためである。”(クルアーン49:6)と言及しているような人物の一人となるであろう。もしあなたが真実を述べているのであれば、あなたは神が “中傷し、悪口を言い歩く者”(クルアーン68:11) と言及する人物の一人となるであろう。あるいはもしあなたが御望みなら、私たちはあなたを許そう。” その人物は言いました。“信仰者の長よ、お赦しください。もう決してそれを致しません。” 嘘、噂話、中傷、詮索、悪口はいずれも大罪なのです。

悪口

悪 口は、その対象の人物への敬意だけでなく、自尊心の欠如をも示します。侮辱、中傷、罵り、悪態などは、通常は怒りにまかせて発言されるものです。怒りと は、あらゆる種類の悪業や無礼への扉を開く可能性のある感情です。それは時に、善意の絆を絶ち切り、家族関係すらも破壊してしまうものです。また怒りは中 傷の言葉だけに留まらず、お互いへの身体的な危害につながることもあります。

預言者ムハンマドは、侮辱的な言葉を使ったり、卑猥な話し方をしたり、人を罵ったりする人物ではありませんでした。彼は誰かを非難したいとき、こう言ったものです。「一体、彼はどうしたというのだ。彼に災いあれ!」神に服従する真の信仰者とは、自らの舌を制御し、善いこと以外は発言しないようにしなければなりません。預言者ムハンマドにまつわる伝承においては、誰であれ神と最後の日を信じる者は、善いことを話すか、沈黙していなければならない、と彼は述べています。彼は、信仰者と中傷の言葉を交わすことは悪であり、戦うことは軽度の不信仰であり、呪うことは殺すことと同様であると述べています

厳しい言葉は、誤解の入り込む余地を与えません。悪口は悪業につながり、最終的には懲罰を受けることになります。神は私たちに、最善の言葉とは神への唱念であることを喚起します。なぜなら、それは満ち足りた気持ちと心の平穏をもたらすからです。

 “アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずがないのである。”(クルアーン13:28)

善行に勤しむことを心がけ、神のご満悦を求めるような人こそは、敬意の意味を真に理解している人なのです。



Footnotes:

          サヒーフ・ムスリム

          イスラームの初期において、アブー・スフヤーンは預言者ムハンマドとイスラームの大敵でしたが、マッカ征服後にイスラームを受け入れて改宗しています。

             サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム

             サヒーフ・ムスリム

             サヒーフ・ブハーリー

             サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム

             サヒーフ・ブハーリー

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