環境意識の創造(1/4):自然の性質

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言ってやるがいい。「執り成し(の許し)は,凡てアッラーに属する。天と地の大権はかれの有である。やがてあなたがたはかれの許に帰される。」”(クルアーン39節44章)

イスラームは、生態システムやそれが支える生き物たちという地球上の全てのものは、主である神、唯一神によって作られ、その神に完全に依存した存在だとします。つまり人間は神よりも、海に生きる魚や空を飛ぶ鳥、そして地を徘徊する動物により近い存在ということです。

 地上の生きとし生けるものも,双翼で飛ぶ鳥も,あなたがたのように共同体の同類でないものはない。啓典の中には一事でも,われが疎かにしたものはない。やがてみなかれらの主の御許に召集されるのである。”(クルアーン6章38節)

人間は食物連鎖の頂点にいますが、それと同時に食物連鎖の一部でもあります。しかし人間の主である神は、食べたり、住居を探したり、子孫を残す必要はありません。そのことが理解できず、同じ人間を崇拝の対象とする人たちは、次の節について考えてみるべきでしょう。

 マルヤムの子メシアは,一人の使徒に過ぎない。かれの以前にも使徒たちがあって,逝ったのである。かれの母は誠実な婦人であった。そしてかれら両人は食べ物を食べていた。見よ,われは如何にかれらに印を明示したかを。また見よ,如何にかれら(不信者)が迷い去るかを。(クルアーン5章75節)

ここで暗に示されているのは、ある存在が、食物を必要とするなら、また排泄し、食べた物を処理する必要があるということです。神にそのような生理的必要があるはずはありません。

 (ムハンマドよ、)あなた以前にわれが遣わした使徒たちは,一人として食べ物を食べない者はなく,町を歩き回らない者はなかった。(クルアーン25章20節)

つまり、預言者たちや彼らの教友、そして信仰者としての彼らの家族はこの地上に生きた、最も敬虔で優れた人々であったことに間違いはありませんが、彼らはあくまでも神の創造物であり、その命、糧、そして救いにおいて完全に神に依存した存在です。それゆえ 私たちが人と環境の関係を考えるとき、まず私たちは人と神との関係を考えなければならないのです。

ウブーディーヤ 唯一なる神に従うということ

イスラーム教徒たちは、生物はみな、その創造主への服従という天性のもとに創造されたと考えます。つまり、全てがもとより神に服従しているなら、全ての自然的本質はイスラームだということです。チーターがカモシカを追いかけ、カモシカがチーターから逃げきったとき、それは神が命じた通りに動いていたというだけなのです。

 天と地にある凡てのものは,かれに属する。万有は,真心込めてかれに服従する。”(クルアーン30章26節)

創造物が神が定めた道に正しく従っているから、いわゆる自然の摂理、宇宙の自然摂理といった宇宙のバランスや調和が保たれているのです。この私たちの周りで起こっている神への服従は吹き込まれた天性に基づいており、それ自体が永続的な服従と崇拝なのです。クルアーンの中の多くの節がこの真実を語っています。

 あなたは,天地の間の凡てのものが,アッラーを讃えるのを見ないのか。羽を拡げて飛ぶ鳥もそうである。皆それぞれ礼拝と唱念を心得ている。アッラーはかれらの行っていることを知っておられる。”(クルアーン2441節)

 七つの天と大地,またその間にある凡てのものは,かれを讃える。何ものも,かれを讃えて唱念しないものはない。だがあなたがたは,それらが如何に唱念しているかを理解しない。本当にかれは忍耐強く寛容であられる。”(クルアーン1744節)

 天と地において,慈悲深き御方のしもべとして,罷り出ない者は唯の一人もないのである。(クルアーン19章93節)

フィトラ 人間の天性

人間もイスラーム的な天性、フィトラが備えられています。もしそのフィトラに従うなら、全ての人間はタウヒード(イスラーム的な一神教)に従い、その創造主を認識し、彼を崇拝し、良い行いをしようとします。クルアーンで神はこう言っています。

 それであなたはあなたの顔を純正な教えに,確り向けなさい。アッラーが人間に定められた天性に基いて。アッラーの創造に,変更がある筈はない。それは正しい教えである。だが人びとの多くは分らない。(クルアーン30章30節)

つまりイスラームや、環境保護などの善行は教え込まれなければいけないものではなく、人間の深層心理を呼び起こすことで得られるものだということです。そのとき初めて人間は宇宙とつながります。全ての人間の魂は結局、少なくとも一度はその創造主を認識しているのです。

 あ なたがたの主が,アダムの子孫の腰からかれらの子孫を取り出され,かれらを自らの証人となされた時を思え。(その時かれは仰せられた。)「われは,あなた がたの主ではないか。」かれらは申し上げた。「はい,わたしたちは証言いたします。」これは復活の日にあなたがたに,「わたしたちは,このことを本当に注 意しませんでした。」と言わせないためである。(クルアーン7章172節)

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