6つの信条,5つの柱

ナージー・イブラーヒーム・アル=アルファジュ

実際の話として、ムスリム、もしくはムスリムになるつもりの人々は、6つの信条を信じなければなりません。

 

6つの信条

1、(唯一なる神として)アッラーを信じること

かれの存在とかれの唯一性、そして、かれが唯一崇拝に値する存在であると信じることです。

2、アッラーの天使たちを信じること

天使たちはアッラーを称賛するため、かれ自身によって創造されました。彼らはアッラーの命令に従い、かれの命令を実行します。

3、アッラーの啓示を信じること

アッラーが先の預言者モーゼやイエス・キリスト等に啓示された、本来の言葉が含まれます(それらは人間の手によって付け加えられ、改変されて物語られているものではありません)。イスラームが保持するクルアーンは、預言者ムハンマドに伝達されたアッラーによる最終啓示であり、それは一言一句変わることなく現存し続ける最後の言葉です。

4、アッラーの使徒たち、そして、預言者たちを信じること

それは、アダムに始まり、ノア、アブラハム、モーゼ、そして、ヨハネ、イエス・キリスト、ムハンマドが含まれます。それ故、もしムスリムがモーゼやイエス・キリストの存在を創造主アッラーからの使者であると信じなかったとすれば、彼らは本当の信仰者とは言えないのです。

5、最後の日を信じること

それは、審判の時、説明責任を問われる瞬間です。全ての人間はその日、アッラーによって彼らの現世での信仰や言行を問われます。審判の最後には誰が永遠の生活(楽園)を獲得し、また、誰が地獄の業火に投げ込まれるかの判断が下されるのです。

6、定命を信じること

それは神が命ずる運命であり、全知者であるかれのみが知る究極の知識です。これに関し信仰者は、アッラーに全幅の信頼を寄せます。彼らは自分の身に降りかかるいかなる吉事、凶事と思われる出来事に対しても、アッラーが定める運命としての満足を覚え、そして確信をもって受け止めるのです。信仰者は自らが危機や困難に直面した際に絶望や失望、落胆や悲観的な状況に陥るというようなことのないように努めます。彼らはアッラーに対して救いや援助、運命を受け止めることへの報奨を求めるのです。

このアッラーが命ずる運命、そして、それに対してムスリムが持つ信条は、彼らが経験するであろう偏見や差別、中傷等に対し、アッラーが定められた運命としての認知とそれに対する満足を覚え、忍耐するよう促します。

簡単に述べたこれら6つのイスラームの信条は、信仰者にとって信じなければならない項目なのです。

5つの柱

先に述べた信条(理論的な側面)に加えて、イスラームではその信仰を行動に移すよう、私たちに説いています。ムスリムは生活の中で一般的な善行に勤しむだけでなく、他に5つの基礎であるイスラームの柱を実践しなければなりません。次に述べる容易かつ簡潔なこれらの項目が、イスラームの実践である5つの柱です。

1、    シャハーダ(証言)

私はアッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であることを証言します。

アラビア語で唱えた場合、次のようになります。

アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラーフ ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン ラスールッラー

これは人がイスラームを受け入れた際に、声に発して唱えなければならない証言です。それはイスラームの美徳と容易さを示します。

2、サラー(礼拝)

日々、執り行われる5回の義務の礼拝には起立の姿勢や立礼、平伏、またクルアーンの中からの一部分の読誦とアッラーへの称賛、想起等が含まれています。また、それはアッラーに対して、慈悲と赦しを請い、天国を求める行為でもあるのです。

礼拝の美点と効力については、 精神的な成長と心理的な快さ、苦痛や心配の軽減、静寂や満足感等を私達の魂や思考、心にもたらします。

またそれら礼拝の美点に付け加え、アダムやノア、アブラハム、モーゼ、イエス・キリスト、そして、ムハンマドといった唯一なる神が遣わした預言者たちは、唯一なる神であるアッラーに対して自ら礼拝を行い、平伏していたのです。

さらに他の多くの優れた概念として、アッラーの慈悲を感受し、かれに対しての服従や身を委ねる姿勢、嘆願や調和のとれた平等的立場、誠実さ、そして、忍耐や謙遜、従順な姿などを、礼拝を行う者の動作の中にはっきりと見受けることができます。

実際、誠実さと謙遜をもって「ズィクル」(アッラーを思い起こすこと)や「ドゥアー」(祈願)、「イスティグファール」(アッラーに赦しを乞うこと)、そして、サラー(礼拝)をアッラーだけのために行うことは心の安静や平穏、祝福を得るための重要な「鍵」なのです。

「これら信仰した者たちは、アッラーを唱念し、心の安静を得る・・・」

13:28

「あなたがたの主(アッラー)は仰せられる

『われに祈りなさい。われはあなた方に答えるであろう』」

40:60

3.ザカー(喜捨)

義務の一つとして、個人の財産から一定量の富を貧しい人々や、それを必要としている人々に対して与えることが定められています。ザカー(喜捨)、施し物は貪欲な性格、欲深さから私たちを浄化してくれます。それは私たちの財産や富を浄化し、そして私達に思いやりや分け与えの精神を教示してくれるのです。裕福な人と金銭的に貧しい人との間で相互に慈しみ合いや敬意を払うことは、お互いの強い絆を築きます。実際それは、支え合うことや援助、協力し合うこと、また一個人としての社会での連帯意識を助長してくれるのです。

4、サウム(斎

サウム(斎戒)はすべての食べ物や飲み物の摂取、また配偶者との性交を特定の時間帯(夜明けから日没までの間)に自制することを指します。サウム(斎戒)は以下のような、いくつかの利点と教訓を含んでいます。

・精神面での美徳

それは、アッラーに対する「畏敬の念」(タクワ―)を高め、誠実さを増します。斎戒月であるラマダーン月は、アッラーからの慈悲と罪の赦しを得るため、また地獄の業火よりの救いと永遠の生活、天国を得るためのとてもよい機会なのです。

・道徳、感情面での美徳

私たちはラマダーン月の教訓によって、世界中の各地域では不特定多数の人々が空腹の状態で苦しんでいるということを知り、経験します。それは、私たちが他者と分かちあうことや気持ちを理解すること、そして謙虚な姿勢や寛大な心で親切に振舞うことを促すのです。

・教育面での美徳

斎戒は他にも多くの教訓を私たちに示します。例えとしては、度を越して食することの悪い習慣を改めること、もしくは放棄することを可能とします。または、自らの行動を自制、克己するように私たちに教示します。さらに、ムハンマドやモーゼ、イエス・キリストのような、唯一なる神が遣わした預言者たちが、過去にも斎戒を行っていたことをも私たちに想起させるのです。

・健康面での美徳

斎戒の一要素である断食の過程を通して、体は毒素や余分な脂肪を取り除かれます。医師や栄養士たちは断食を推奨し、「rubbish-burner(老廃物の燃焼)や 「curative  therapy(根治療法)」として表現します。断食は様々な病気に対してのよい治療法なのです。

これら先に述べたことは、ラマダーン月の斎戒がもたらす美徳と利点の一部です。

5、ハッジ(巡礼)

ハッジとは、全てのムスリム男女に課せられた、生涯で一度のマッカ巡礼の事を示します。それは彼らが身体的、精神的そして金銭的な余裕から遂行可能と見出された際に課せられる義務行為の一つです。既述されたイスラームの柱やそれに伴う教義のように、巡礼には多くの美徳や教訓、利点等が含まれています。何百万人もの(異なる肌の色や人種、そして世界中の各地域から集った)信仰者たちが、預言者アブラハムの呼びかけに答えるのです。巡礼が行われる期間中には、イスラームの驚くべき根源とその概念を見ることができます。それは、アッラーに対しての服従や恭順、イスラームの同胞愛と一個人としての認識、忍耐や犠牲、嘆願や施し、そして斎戒等です。イスラームの巡礼(ハッジ)では、人間の歴史における最大規模かつ他に類のない宗教行事としての、人々の参集を見ることができます。そのようなすべての人種や肌の色を含む大規模な人々の召集で、彼らは唯一なる神に仕え、唯一のメッセージに従うのです。ハッジのためマッカを訪れた際、マルコムXや他の人々は、イスラームの同胞精神や平等的立場など、真実の信仰としての教訓と美徳を学んだのです。

「巡礼での体験は私の視野を広げてくれた。私に新しい見識を与えてくれたのだ。聖地での二週間はアメリカ生活39年の中で、自分が見たことのない光景だった。すべての人種、肌の色(青い眼の者、色白の者から黒い肌のアフリカ人まで)を目にしたのだ。彼らは真実の兄弟愛を持っていた。一つの共同体だった。共に生き、共に一個人として崇拝行為に専念している姿がそこにはあった。」  

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