アンソニー 米国出身の元モルモン教徒


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慈悲深き慈愛あまねくアッラーの御名において、筆を取ります。

それ程遠くない過去のある夜、私はバイブルの正統性への信念に対して疑問を持つようになりました。それにより、私は気落ちしていました。神が存在していること、そして神が人類に宗教を下したことを確信してはいましたが、それを見つけることができなかったからです。それがなぜそんなに難しいことだったのでしょうか? 私は神に祈りつつ、なぜあなたは啓典(バイブル)を下しておきながらそこに欠陥が入り込むのを許したのか、と問いかけていました。主は、私が尋ねる前からすでに質問に答えていました。

その約2年前、私は16歳にして宗教を切望していました。それは、あたかも癒えることのない喉の渇きのようなものでした。私はモルモン教 に満足していると思い込んでいましたが、本当は違ったのです。神はまるで私を呼んでいるかのようでした。私は啓典をじっくりと検証することを決断しまし た。私は「モルモン書」を傍らに押しやり、バイブルを手に取りました。私はそれまで教え込まれてきたものではない、別宗教の見解を学びました。なぜならモ ルモン教では非常に特殊な「公式」の教えを通したバイブルの理解をしているからです。私は自分が無宗教者でありつつ、啓典に忠実に従おうとしている者であ るかのように心がけました。

調べていく と、キリストはユダヤ人にのみ教えを説いていたことが分かりました。つまり彼は、イスラエルの民だけに宣教していたのです。彼の人生を精密に調べていくう ちに、彼は現存するいかなる宗教にも従ってはいなかったことが分かりました。彼は過去のユダヤ人に下された神の法に従う者だったのです。私の宗教は、その 時点で疑わしいものとなりました。また使徒行伝において、諸使徒は豚肉を始め、それ以前に神によって禁じられていた食物を食べたりはしなかったことも知り ました。他の書では、キリスト(神の慈悲と祝福あれ)の追従者たちは、過去に下された神の法と伝統をすべて守っていたことが記されていました。私の宗教だ けでなく、他のキリスト教徒たちもそうした模範に従ってはいませんでした。

さらに綿密な研究の結果、私はすべてのキリスト教会が、イエスの言葉の多くと矛盾したことを説いていたパウロの教えを基にしていることを知りました。そのとき、私は自分の宗教に深刻な嫌疑を抱くようになりました。

私は唯一の神、イエス、モーゼ、ノア、そして唯一の神への崇拝を説いた、その他すべての預言者たちを信じていました。しかし、バイブルに取って代わる書物などあるはずがないと思い込んでいました。

す ると私はふと、ムスリムの旧友が言っていたことを思い出しました。彼は、ムスリムがクルアーン、唯一神、そしてキリスト教・ユダヤ教の諸預言者を含む、神 に遣わされたすべての預言者たちを信じていると言っていたのです。当時、私はイスラームについて非常に初歩的な解説をする本を一冊だけ持っていました。そ れは私にとって重要な典拠となりました。私はイスラームについてより理解するようになり、それをある程度興味深く捉えていました。

そ の後、私はインターネットでイスラームについて検索してみることにしました。キリスト教の信仰に対して反駁するサイトを見つけ、それを検証しました。そこ では、いかに大半のキリスト教徒たちが自らの啓典に背いているかが説明されていました。ムスリムのサイトは、実際に私が既に知っていたことを確証してくれ ました。

私のイスラームに対する関心は 急上昇しました。私は隣人からクルアーンを借り、数週間後にそれを読み終えると大満足しました。そこにある言葉を一字一句信じました。ただし、十字架への イエスの磔が実際にはされていなかったということだけは信じられませんでした。私はバイブルに酷く洗脳されており、当時は真理を受け入れることができな かったのです。

そして、遂に私のバイブルの純粋性と無謬性への信頼が完全に失われたあるとき、再びイスラームを調べてみようと思いました。心の中では、過去2年間において真理はイスラームにあることを確信していましたが、私のエゴはそのことを受け入れることが できませんでした。そうした頑迷さには個人的な理由があります。それはサタンによって私の心に植え付けられたいくつかの理由でした。私はネットで新たに検 索を始めました。多くのサイトを訪問し、多くの管理人から情報提供を求めました。クルアーンに関する興味深い事実について知ると、私はこれこそが神が私を お導きになる道なのではないかと思いました。しかし、まだ機は熟していませんでした。

数日後、あるサイトの管理人がメールの返答をしてくれました。彼は私のイスラームへの関心に感謝の意を示し、イスラームに関する疑問などがあればいつでもしてくれるよう述べてくれました。

そ うして、私たちはネット上でのやりとりを開始しました。彼はイスラームについての多くの知識を与えてくれました。私は彼に「ムスリムは、『十字架への磔は 実際にはなかった』ということをどうやってキリスト教徒に証明するのか」という、重要な質問をしました。彼は直接会って話し合うことを提案したので、私は それを了解し、近所のピザ屋で会うことになりました。私たちの会話は素晴らしいものとなりました。彼は私が見落としていたバイブルの節を示してくれまし た。彼は私にクルアーンの翻訳本や講演会のCDをくれました。帰宅すると、私はこれが神の宗教だと確信しましたが、改宗に急ぎたくはありませんでした。その代わりに、私は独学を進めました。

独学からはひとつの結論にたどり着きました。それは、イスラームが神による真の道であるということです。ただ、私は改宗することを怖れていました。改宗は人生を変えてしまうものであり、そうしたことを軽い気持ちで行いたくはなかったからです。

あ る日、ピザ屋で会った例のムスリムが金曜礼拝(ジュムア)に連れていってくれると言いました。その前夜、サタンは私に強く影響力を及ぼしました。サタン は、私がシャハーダ(「アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」と公にする信仰宣言のこと)し、イスラームに改宗することを知ってい たのです。サタンは「イスラームは正しい道などではない」と私の心に夜通しでささやきかけました。その影響はあまりにも強かったため、私はその夜1時間以上眠ることはできませんでした。サタンは私の頭に疑念を植え付け、私も自分が改宗しないものだと思い込んでしまった程でした。

眠りについて1時間ほど経つと、母親が起こしに来て、彼女が病院から帰ってくるまで子供たちの世話をするよう言ってきました。私の幼い弟が怪我をし、母は骨折を疑っていました。私は彼女が帰ってくるまで子守りをしなければならなくなりました。彼女は夕方の6時までは帰って来ないだろうと言いました。

そ れを聞いた私は、ジュムア礼拝に行くのは無理だと悟りました。それが始まる時間帯は、家に居なくてはならないのです。例のムスリムが電話してきました。彼 が準備はできているかと聞いたため、事情を説明しました。彼によると、これが私を一緒に連れていくことのできる唯一の機会だったらしく、とても残念がって いました。彼は弟たちを一緒に連れてきてはどうかとさえ提案しました。彼らはおそらく居心地を悪く感じるだろうから無理だと私は言いました。何か解決案が 出るかも知れないから30分後にまた電話してくれとは言いましたが、心の底ではそれを予期してはいませんでした。

母 に話してみると、なんと私が外出しても構わないという返事がありました。弟たちを連れて行くことのできる余分なお金があったため、私は子守をしなくても良 いことになったのです。私はこの小さな奇跡について神に感謝しています。なぜならこの出来事は私の人生を変えたからです。例のムスリムは後日、私がモスク に行けるように神に依頼したと述べました。私が行けないことを告げた後、物事の最終的な決定権は神にあることを知っていた彼は、神に祈りを捧げたそうで す。もし私がムスリムになるのであれば、それは神の御意に依拠していることなのです。私がムスリムにならないのであれば、それは元来、神の御意ではなかっ たことなのです。

私が来れるようになっ たことを知った例のムスリムは、とても喜んでいました。その後間もなく彼は迎えに来てくれました。道中、私は体調を崩してしまいました。私は吐き気、虚脱 感、目眩を感じ、今にも倒れてしまいそうでした。それはサタンの仕業でした。サタンは私がモスクに行けないようにすることに必死で、体調の悪さからそれを 諦めさせようとしていたのです。事実、それは前夜に殆ど睡眠を取っていなかったことが原因でした。

モ スクへの道中での車内で、私はシャハーダに関して躊躇っていること打ち明けました。それは私次第だと彼は言ってくれましたが、サタンが人の心に植え込む疑 念に対して注意するよう彼は促しました。それから暫くはサタンによる心への囁きかけについて、そしていかにサタンが人々を光から闇へと引きずり出すかにつ いて車内で語りました。彼によると、最もサタンの影響を受けやすいのはムスリムと、イスラームに改宗しようとする非ムスリムとのことでした。一般的に非ム スリムは既に神から遠く離れ去ってしまっているため、サタンは彼らの妨害をすることはないのだと彼は言いました。昨夜、私の頭を満たしたものは全てサタン によるものだったのだと彼は説明しました。サタンは私を光の中から引きずり出すために、私を疑念で一杯にしたのです。翌日、私がシャハーダをすることを 知っていたサタンは、それを阻止するのに必死だったのです。

私 たちがモスクに入ると、彼は礼拝前のお清め(ウドゥー)の方法を教えてくれました。お清めの後に私は非常に爽快さを感じ、吐き気はすっ飛んで行きました。 私はもう体調のことなど全く気にしておらず、神の崇拝の場に居ることが心地良く感じました。私たちは責任者の元へ行き、合同礼拝後に改宗したい旨を伝えま した。彼はにっこりと笑い、温かいハグで歓迎してくれました。偶然その場に居合わせて、その会話を耳にした別の同胞も同じようにしてくれました。彼は言い ました。「神の祝福がありますように。おめでとうございます。」彼らはとても美しい、神の人々でした。私はそれまで、そうした人々のようになりたかったの です。

合同礼拝の前、イマーム(礼拝先 導師)は何と、サタンによる人の心への囁きかけ、そしていかにサタンが光から闇へと誘惑するのかについて説教しました。私はただ呆然としました。例のムス リムが車内で語っていたことを、驚くべき偶然としてイマームはその日、そのことについて説教することにしたのです。私はそれが、サタンを無視せよという神 によるメッセージだと思っています。私はシャハーダが待ちきれず、合同礼拝後すぐに正面へと急ぎました。

お おやけにイスラームを宣言した後、おそらくその場にいたすべてのムスリムたちが私のもとに来てハグをしました。そこには最低でも数百人の同胞たちがいたの で、私がいかに多くのハグを受けたか想像できるでしょうか。彼らは私を歓迎し、こう言いました。「神の祝福がありますように。君は正しい選択をしたのだ よ。」

その日、2 つの勢力が働きあっていました。サタンと神です。しかし、神の勢力は私が抵抗するには強大過ぎたため、私はイスラームによって神に従ったのです。例のムス リムは、神が私たちに現世で授けてくれる最大の恩恵はイスラームであると言いました。インシャー・アッラー(神の御心であれば)、その恩恵を私は生涯に 渡って守り通すでしょう。また彼は、イマームがサタンの囁きかけという題材について説教するのを聞いたことがなかったと言いました。その話題はたまに言及 されるものの、合同礼拝の説教全体において語られることは滅多にないことだと言っていました。

私 の改宗記が、同じような葛藤に直面している人々の助けとなることを祈願しています。私の体験はあまりにも驚きに満ちたもので、それを忠実に文章にすること は不可能です。これを読んだ方々が、あの日私がすることができたようにサタンに打ち勝つことができることを祈っています。

アッサラーム・アライクム。神が私をお導き下さったように、あなたをお導き下さいますように。

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