イスラームにおける人権(下):奴隷と虐待


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世界人権宣言は多くの問題を取り扱っています。それは人間どうしが尊厳を持ってお互いに接することを求めています。イスラームは尊厳と寛容に重きを置き、イスラームに内包された義務は人権の尊重です。

 


イスラームで最も大事な理念の一つが、神は人間に彼の行動について全て問いただすということです。全ての人間に特定の権利と義務があり、誰にも他人の権利を侵害することは許されません。神がイスラームを通して与えた権利を侵害しようとするものは悪者、または迫害者と呼ばれます。神は彼の僕(しもべ)たちに迫害されている人々の権利を守るため立ち上がるよう教えています。

 


 “あなたがたはどうして、アッラーの道のために戦わないのか。また弱い男や女や子供たちのためにも。かれらは(祈って)言う。「主よ、この不義をなす(マッカの)住民の町から、わたしたちを救い出して下さい。そしてわたしたちに、あなたの御許から一人の保護者を立てて下さい。またわたしたちに、あなたの御許から一人の援助者を立てて下さい。」”(クルアーン4:75)

 


世界人権宣言の第4条では「何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。」としています。1400年以上前にイスラームでも奴隷制について触れられています。

 


西暦7 世紀では他の社会と同じように、アラブ社会で奴隷制は普及していました。奴隷は戦争、借金、誘拐、貧困を通して簡単に手に入っていたので、奴隷制を急に禁 ずることは、貧困を一気になくすこととおなじくらい不可能なことでした。そのためイスラームでは奴隷制に制限を設け、将来的な廃止を目指しました。

 


クルアーンの中や預言者ムハンマド(彼の上に神の慈悲と祝福あれ)の慣習の中には奴隷制を奨励するものはなく、逆に奴隷を解放するよう奨励する文は多くあります。その内の一つが、預言者ムハンマドの短くも深い言葉、「病気の人を訪ね、飢えた者に食べ物を与え、奴隷を解放しなさい。」というものがあります。イスラームの法では奴隷制は組織として捕らえ、奴隷の取得方法を戦争捕虜とその家族という一つだけに絞りました。イスラーム教徒のリーダーたちは戦争捕虜を解放し、金銭等と交換するように奨励されました。

 


イスラーム初期の奴隷の扱いにおける理念は、公正、親切、慈悲でした。イスラーム教徒が彼らの資産を義務の喜捨として支払うとき、その金銭の使い道の一つが奴隷の解放でした。また奴隷の解放は約束を破ったり、間違って人を殺してしまうといった多くの罪の償いでした。

 


ここ200年間で西洋は奴隷制を廃止しましたが、人身売買はいまだに行われています。ナショナルジオグラフィックはおよそ2700万人の男女、子どもたちが奴隷として扱われていると推定しています。人間が作った宣言や協約は奴隷制を廃止しましたが、皮肉なことに現在の奴隷は200年前の奴隷より低い価値のものとして取り扱われています。

 


身体的に拘束され労働を強いられて、暴力によって支配されている現在の「奴隷たち」には彼らの自由を買うための法的な手段も無ければ、彼らの扱いを関知する法機関もありません。奴隷制は法外に存在し、ほとんどの場合麻薬、売春、その他の違法行為に結びついています。

 


イスラームによって設けられた制限は奴隷に対する間違った扱いを妨げるためのものです。奴隷を解放することはその人に現世と来世で祝福を与えると尊い行為です。イスラームにより人間の本質を理解し制限することができるのです。

 


人々 が、人権の行使は神の法によってしかできないと理解するまで、奴隷制や苦役は廃止できないでしょう。同じことが拷問や、非人道的な罰にも言えることでしょ う。このような忌むべき行為は、全人類が神の存在に気付き、現世の欲望以上に神への信仰をしない限り無くならないでしょう。このような謝った行動を禁じる 世界人権宣言第五条やその他の協約をもってしても、拷問は無くならないのです。

 


過剰な厳罰を含めた残忍な行動はイスラームで禁じられています。すべての人間が、民族、肌の色、信仰、国籍に関わらず尊厳を持って扱われるべきなのです。預言者ムハンマドは戦争のときでさえ、残忍で異常な罰を明白に禁じました。生きたまま焼いたり、火を使った拷問をしたりすることを禁じ、傷ついた兵士を攻撃したり、捕虜を殺したりすることも禁じました。彼は彼の教友たちに、こう言いました。「あなた方は心冷たかったり、厳しい性格であってはいけません。」2そして彼は人々に不公平であることも禁じました。「報いの日に、不正は闇となるでしょう。」3

 


イスラーム初期の戦争捕虜でさえ、彼らを捕まえた人々のことを高く評価しています。「マディーナの男たちに祝福あれ。」と捕虜の一人は、後日語っています。「彼らは自分たちが歩いてでも、私たちを馬に乗せてくれ、自分たちがナツメヤシを食べないといけないときでも、私たちにパンをくれました。4」イスラームの2代目カリフであったウマル•ブン・アル=ハッターブは、こう言いました。「もし何かを告白させる為にその人を傷つけたり牢獄に入れたなら、その人はその告白した罪について罰せられません。」5

 


イスラームにおけるカイロ人権宣言では、第20条にこう述べられています。「誰も十分な法的処置なしに逮捕されたり、自由を奪われたり、追放されたり、罰せられてはいけない。どのような人も身体的または心理的な拷問やその他の屈辱的な扱いを受けるべきではない。」

 


イスラームにおける人権は、イスラーム法の施行に密接に関わっています。イスラームでは神の法に従うことで楽園に入るという報酬が与えられます。しかし他人の権利を奪ったり制限することは、罰に値する行為なのです。「報いの日には、人々に値する権利が与えられるでしょう。(そして悪が暴かれるでしょう。)」6



Footnotes:

          サヒーフ・ブハーリー

2           サヒーフ・ブハーリー

3           同上

4              東洋学者ウィリアム・ムーア(1819〜1905年)の文書より

5              アル=ハラージという書において、アブー•ユースフによって伝えられている。

6           サヒーフ・ムスリム

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