イスラームのメッセージ


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人間の意志を完全に神に服従させるということは、信仰の本質、つまりアラーから人間に与えられた宗教の基本的なメッセージを表しているので、イスラームとは、アッラーだけを信仰することであり、人、場所、物などの、アッラー以外のものに向けられた信仰を避けることである。なぜならば、アッラー以外のすべてのものは、創造者であるアッラーによって創造された被造物だからである。つまり、イスラームは、その本質において、人間に、被造物を信仰せず、創造者だけを信仰するよう求めているのである。人間が信仰するに値するものは、創造者だけである。なぜなら、創造者の意志だけが、祈りの言葉に答えを与えてくれるからである。もし、人間が、ある樹木に祈りをささげ、その祈りの言葉に答えがあったならば、それ答えたのは、樹木ではなく、アッラーである。なぜなら、祈りの言葉によって求められたような状況が起きることを許したのは、アッラーだからである。「これは当然だ」という人もいるが、樹木を信仰する人にとっては、当然のことではないであろう。同様なことは、ジーザス、ブッダ、クリュシナ、あるいは、聖クリストフォロス、聖ユダ、さらにはムハンマドに対する祈りの言葉についてさえもいえる。つまり、そのような祈りの言葉に答えるのは、このような人ではなくアッラーである。ジーザスは、信徒たちに対して、彼を信仰するのではなく、アッラーを信仰するようにといった。クルアーンは次のように述べている。

 

またアッラーがこのように仰せられた時を思え。「マルヤムの子イーサーよ、あなたは『アッラーの外に、わたしとわたしの母とを2柱の神とせよ。』と人々に告げたか。」かれは申し上げた。「あなたに讃えあれ。わたしに権能のないことを、わたしは言うべきではありません。」(食卓章 5:116)

 

また、ジーザスは彼が信仰していたとき、自分自身を信仰していたのではなく、アッラーを信仰していたのである。この基本的な原理は、『開扉の章』という名前で有名な、クルアーン第一章、第四節にしるされている。

「わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う」

 

最後の啓示の書である、このクルアーンの随所で、アッラーは述べている。

 

「それであなたがたの主は、仰せられる。『われに祈れ。われはあなたがたに答えるであろう。』」 (ガーフィル章40:60)

 

アッラーと、その被造物は、実体がまったく異なるのだというイスラームの基本的なメッセージに注目すべきである。つまり、アッラーは被造物ではないし、その一部でもなく、また被造物は、アッラーでも、アッラーの一部でもない。

このような考えは明白なように見えるが、人間が造物主ではなく被造物を信仰してしまう場合、その理由は、この考え方を誤解している場合がほとんどである。つまり、アッラーの本質は、その被造物に偏在していると信じたり、神の痕跡が被造物のどこかにある、あるいは、あったと信じる場合、これが、被造物を信仰する根拠となるが、これらは、被造物を媒介として、アッラーを信仰することとでも表現するべきものである。しかし、アッラーの預言者によってもたらされたイスラームのメッセージは、アッラーだけを信仰すべきであるというものであり、直接、間接を問わず、被造物を信仰するな、というものである。クルアーンにおいて、アッラーは、明白に述べている。

 

「本当にわれは、各々の民に一人の使徒を遣わして『アッラーに仕え、邪神を避けなさい。』と(命じた)」(蜂蜜章16:36)

 

偶像崇拝をする人が、なぜ人間の作った偶像に頭を下げるのかと問われた場合、石の像を信仰しているのではなく、その石の像の中に存在するアッラーを信仰しているのだと答えるのが常である。つまり彼らは、石の偶像は、アッラーそれ自体ではなく、アッラーのイメージが焦点を結んでいる場所なのだと主張する。被造物の中に神が存在するという考えを受け入れた者は、偶像崇拝についての、このような主張を受け入れることになる。他方、イスラームの基本的なメッセージとその意味を理解した者は、どれほど合理的に説明されていようと、偶像崇拝を受け入れることは、ありえない。また、自分たち自身の中に神の属性が宿っているのだと主張する人々は、いつの時代でも、アッラーが人間の中に存在するという間違った考えに基づいて、このような主張をする場合が多い。この間違った考えによると、アッラーは我々すべての中に存在するが、自分の中には、他の者よりも、より多く存在するのだ、と主張しているに過ぎなくなる。そこで、我々は、彼らに服従すべきであり、人の姿をした神、あるいは、神の属性がその人の中に凝縮したものとして、彼らを崇拝すべきであると主張する。

 

同様に、自分ではなく他の者について、その人が亡くなった後で、その人には神の属性があったと主張する人々は、人間の中に神が宿るという間違った考えを信ずる人々の間に、多くの共通点を見つけるであろう。イスラームの基本的なメッセージとその意味を理解した人は、どのような事情があっても、他の人間を崇拝することに同意することは一切ない。神の宗教は、その本質において、創造者を信仰することを明確に要求しており、いかなる形態でも、被造物を崇拝することを拒否している。これがイスラームの基本信条の意味である。

 

「ラー イラーハ イッラッラー(アッラーのほかに、神はいない)」

 

これを繰り返し唱えることにより、人はイスラームの信者の中に導かれ、それを心の底から信ずれば、天国が約束されるのである。

 

「つまり、イスラームの最後の預言者は次のように述べたという伝承がある。『アッラーのほかに神はないと唱え、この信仰を抱いて死んだ者は誰でも、天国に入ることができる』」(アル・ブハイリーとムスリムに収録された、アブー・ダハルの伝承)

イスラームの基本的なメッセージの内容は、唯一神としてアッラーに服従すること、アッラーの命令に服従することによりアッラーに服すること、そして多神教と多神教信者を認めないことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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