クルアーンの著者は誰なのか(1/3):人による作品である可能性


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クルアーンが神によって著されたのであるという、ムスリムの主張する“内部証拠”、すなわちクルアーン本体からの既述(482;6:196:92;27:645:2 など)が懐疑的な目で見られることは理解出来ます。なぜなら誰であっても、自分の聖典が神の言葉であると主張することは、少なくとも可能だからです。それ ゆえ私たちは理性と客観性に基づき、クルアーンの起源および権威が神であるという“外部証拠”を探索しなければなりません。


こ の“外部証拠”の検証に関しては、単純明快な構成の消去法が用いられます。つまり“誰がクルアーンの著者なのか?”という質問の答えに辿り着くためには、 それに対して疑わしい答えを消去していくという方法です。別な言い方をすれば、クルアーンの確定的な、または(少なくとも)最も確実な著者・源泉は、その 可能性の無い候補を除去していくことにより、最終的に見極めることが出来るのです。


クルアーンの源泉に関し、非ムスリムの人々の主張は様々であり、その見解は一致していません。以下のリストでは、著者の“可能性のある”説の主な候補を挙げてみます。


1)ムハンマド

2)アラブ詩人、学者など

3)非アラブ人学者、または詩人、宗教者

4)僧侶またはラビ(ユダヤ・キリスト教からの源泉)

5)悪魔(または他の欺瞞的“霊”や“宇宙人”など)

6)神


それでは、これらの説がいかに論証に耐え得る主張であるか、クルアーンと歴史の観点からじっくり検証していきましょう。


ムハンマド:文盲で無学な人物

ム ハンマドが読み書きを知らなかったことは公知の事実であり、当時の非ムスリムや、現代歴史学者たちの間でもそれに異議を唱える者はいません。彼は教育を受 けず、教師さえいませんでした。彼は一度も口頭による作詩・散文の作成などをしたこともありませんでした。包括的な法を有し、内部矛盾の一切から解き放た れているクルアーンは、非ムスリムの学者でさえその偉大さを讃えているほどです。1  ク ルアーンの内容は、社会・経済・思想・人間関係・戦争・平和・婚姻・崇拝・商売など、人生におけるあらゆる事柄に関し、矛盾なく既述されています。クル アーンが一度も編集・追記されたことがないのは、その必要性が全くないからであるともいえます。上記のような広大な主題の数々が、学歴の無く、またそれら の資料の欠如していた環境に住んでいたことに加え、読むこと自体出来なかった7世紀のアラブ人によって、いかにして的確に説明することが出来たのでしょうか?一体人類の歴史上、いつ何処で文盲で無学な人物がそのような啓典を創り出すことが出来たでしょうか?


ムハンマドは誠実さで知られていた

ム ハンマドの真摯さ、正直さ、誠実さは、イスラームが広まる前の当時の人々の間で知れ渡っており、彼は“アル=アミーン”(正直者)という敬称でもって呼ば れた程でした。彼が嘘をついた事実は全く記録されておらず、西洋における多くの現代東洋学者たちも、彼ら自身による故意の欺瞞に反し、預言者が神による啓 示を心の底から信じていたことは疑いの余地がないと認めています。2


も しも彼の誠実さが疑がわしいのであれば、彼は個人的な栄光を求めてクルアーンを作したはずですが、なぜ彼はその著作権を否認し、代わりにそれが神からであ ると主張したのでしょうか?特にマッカの多神教徒たちはクルアーンに驚き入っており、そのような啓典を創り出すのは不可能だと認めていたにも関わらず、な ぜそうする必要があったのでしょうか。更に彼の敵は、その朗誦を止めるのと引き換えに、マッカの王権を始め、彼の望むあらゆるものの提供すら申し出て来た のです。もし彼が自らの名誉と支配を望んでいたのであれば、どうして彼はそのような絶好の申し出を断り、代わりに質素な生活、迫害、制裁、更には唯一神に よるメッセージに対し脅威を感じた者たちからの敵対行為や侮辱に甘んじたのでしょうか?


これらに加え、文盲であったムハンマドが個人的利益を目的にクルアーンを著し、そのクルアーンの中で彼自身が訂正されたり、譴責されることが理に叶っているでしょうか?例えば、以下の節にはこう述べられています:


“(ムハンマドは)眉をひそめ、顔を背けた。一人の盲人がやって来たためである。”(クルアーン 80:12)

また、こうもあります。


“・・・だが汝は、アッラーが暴露しようとされたことが人に知られることを怖れていた。むしろ汝はアッラーを畏れるべきであった。”(クルアーン 33:37


これら以外にも、1823−24 節などを参照してもよいでしょう。なぜ彼はクルアーンのこういった節々から、自分の都合が良いように削除したり変更したりしなかったのでしょうか?彼の目 的が権威や名声であれば、このような節々は彼にとって好都合ではなかったのは明白です。このような節々の存在は、ムハンマドが真実を語った神の使徒であっ たことを明確に証明しています。



Footnotes:

1 参照:Fredrick Denny,Islam,ニューヨーク:Harper & Row,1987年,88頁;モリス・ブカイユ,The Bible, the Quran and Science, インディアナポリス:American Trust Publications, 1983年,163頁;H.A.R. Gibb, Wither Islam, ニューヨーク:A.M.S. Press, 1932年,350頁;など。

2 参照:H.A.R.Gibb,Mohammedanism,ロンドン,Oxford University Press,1962年,25頁。

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