マリア 米国出身の元カトリック信者(下):イスラームの経験

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帰省――40代以降

私はイスラームの教義についてじっくりと読みました。それらは矛盾しておらず、理にかなったものでした。イスラーム的人生についての説明、そして社会における男女の役割とは、競争ではなく、相互扶助だ というのもとても論理的でした。それを読んだ後、私は女性としての自分自身に本能的に感じていたことが、実際に本来の性質にそったものであるということを 理解することが出来ました。私は女性としてだけではなく、人類の一員として、品位を貶められることなく、高揚を感じました。私は人生で初めて、本来の自分 というものを感じ始めました。私は帰省するかのような感覚を得ました。そして私はクルアーンを読みました。それはアラビア語の原本ではありませんでした が、英訳の章句を読んだだけでも大きく、最も優しい形の平穏を感じました。それらの章句には、私が人生を通して抱き続けつつも、明白な答えが得られないま まだった疑問の多くが答えられていました。クルアーンを読むうちに、私はその非の打ち所のない論理、そしてそれの与えた私への影響から、それが神の言葉で あることを確信し始めました。私はそれがクルアーンの性質の一つであること、そしてそれが人間の魂に落ち着きを与える“バラカ(恩寵)”であることを学びました。

そ の後、時を経ずして、私は妊娠出来るようになることを期待して手術に望みました。手術は成功しましたが、依然として妊娠出来る可能性は非常に薄い状態でし た。当時の私は、クルアーンを定期的に読み、イスラームについてもっと学ぼうとしている状況でした。私は絶えず質問を続け、イスラームの空気に身を浸して いました。どこの道端からも聞こえてくる礼拝への呼びかけが大好きでしたし、ある日モスクで礼拝をするために、夫にイスラーム学問の最高学府として知られ るアズハル大学へ連れていってもらいました。そのモスクは テレビで見たことがあり、とても心を惹かれていました。そこへ行くと、あたりは静寂で、しばらく散策した後、クルアーンを読みつつ、静かに座っていまし た。とても素晴らしい平穏な時間が過ぎました。帰途につき、道のりを半分程行ったところで、私は思わず立ち止まって足元を見やりました。歩道を感じること が出来なかったため、私の両足が地面に着いているかどうかを確認するためです。私は空気を歩いているかのような感覚に囚われていました。それが私に対して のイスラームの効果でした。空中浮遊しているような感覚が、現実的なものとなっていたのです。

当 時、その多くは束の間だったものの、とても多くの不思議な体験をし、私は神が自分と共にあることを心から信じ始めました。その中でも最高のものは、翌年、 かわいい娘を授かったことです。それは本当の、神からの贈りものでした。手術を行った医師でさえ、そのことには驚いていました。その女医がそうした手術を 行うのは初めてだったため、彼女は成功の可能性が小さいということ以外には結果を予測することが全く出来なかったのです。(その時も神は私と共にいてくれ ました)。

私たちは米国に移住し、4ヵ 月後の秋に娘を出産しました。その翌年には、夫の家族の要望に答え、彼らに新たな家族の一員をエジプトまで顔合わせに行きました。帰国前、私は正式にムス リムになることを決意しました。神は非常に多くのしるしをお示しになり、私はこれこそが明白な道であることを確信したのです。それで私はアズハル大学モス クへ行き、「唯一なる真実の神以外に神はなく、ムハンマドは神の使途である」と証言しました。現在、私は40代になりましたが、これまでの人生を見つめ直してみると、特に過去10年 間の様々な出来事には神の手がかかっていたことを認めることが出来ます。常に真実を(善かれ悪しかれ)探求していた者として、個人的体験から、神こそが唯 一の真実であるということを発見しました。私たちはただ、目・耳・心を開き、真実をありのまま認めるだけでいいのです。

 “われは、わが印が真理であることが、かれらに明白になるまで、(遠い)空の彼方において、またかれら自身の中において(示す)。本当にあなたがたの主は、凡てのことの立証者であられる。そのことだけでも十分ではないか。ああ、かれらは主との会見に就いて疑っているのか。本当にかれこそは、凡てのものを取り囲む方であるのに。”(クルアーン41:53−54)

イ スラームを発見することは、無限の価値のある財宝を発見するようなものでした。イスラームのおかげで、私は自分自身を発見しました。実体ある経験から、私 は神の存在を見出しました。神は寛大で優しい、慈悲深く常に見守ってくれる御方です。私は純然たるもの、そして自分の人生における意義深い、明白な方向性 を見い出しました。神はとても多くのものを授けてくださいました。それには心と魂の最も奥底の願望と完全に共鳴してくれる、夢のような家族が含まれます。 神こそは最も完全な方法で供給する御方なのです。私にはイスラームとクルアーンという、神によって提供された素晴らしい癒しによって、平穏な心と魂がもた らされました。私にとって神による最も偉大な贈りものとは、神が私の魂に触れ、神の寛大さ、慈愛深さ、慈悲深さを感じさせてくれたことです。神の恩寵によ り、私はアル=マハディーヤ(正しく導かれし者)となりつつあります。最善で生産的、かつ最も思いやりのある人間になることの出来るよう、神はその最後の メッセージを最も完全な方法で人類に送りました。それはイスラームの道であり、平和の道です。キリスト教との個人的な経験は、私にとても長い期間の空虚さ を与え、その価値を認めることは出来ませんでした。しかし、イスラームはユダヤ教・キリスト教・イスラームが全て同一の神から来るものであり、それぞれが 神によるメッセージを携えたため、敬意に値するということを説きます。私はキリスト教徒として生まれましたが、私の魂にとってはイスラームこそが真の道な のです。現在、私は神との確固とした関係を築き上げたため、イスラーム的観点から他の伝統的一神教の価値を認めることも出来るようになりました。私の中に はもう確執はありません。私は帰省したのです。

 “慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。

万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、

慈悲あまねく慈愛深き御方、

最後の審きの日の主宰者に。

わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。

わたしたちを正しい道に導きたまえ、

あなたが御恵みを下された人々の道に、

あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。”(クルアーン1:1−7)

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