真の宗教(1/8):どれが神の真の宗教か?
人はそれぞれ、自分では選択のできない状況の中に生を受けます。家族の宗教、国家の理念などは、現世での生活が始まった時から人に押し付けられたものです。人は10代にもなると、既に自分の属する社会が正しい信条を持ち、人は皆それに従わなくてはならないものだと完全に洗脳されてしまいます。しかしながら、一部の人々は成熟した後に他の信念体系に晒されると、自らのものの正当性に疑問を抱くようになります。真理の探求者はたびたび、あらゆる宗教・宗派・理念・哲学は、それぞれが自分こそが唯一の真理であると主張することを認識し、混乱に陥る場面に到達します。実際、それらはみな人々に善行を促します。そうなのであれば、一体正しいのはどれなのでしょうか? それはすべて他が間違っていると主張することから、それらすべてが正しいということはあり得ません。であれば、真理の探求者はいかにして正しい道を見つけ出すべきなのでしょうか?
神は私たちに頭脳と知性をお与えになり、そうした重大な決断をすることを可能とさせました。実にそれは、人の人生における最も重要な決定なのです。それによって、人の未来が左右されます。したがって、私たちはそれぞれ提示された根拠を公平に審査し、さらなる証拠が持ち上がるまでは正しいと思えるものを選ばなければなりません。
他のすべての宗教や哲学と同様、イスラームも自らを神への唯一の正しい道であると説きます。それに関しては、他の体系とは異なりません。この小冊子では、その主張の正当性についての根拠を提示することを目的としています。しかし、真理に対してたびたび人を盲目にしてしまう感情と偏見を一旦脇に追いやらない限り、真理を確認することは出来ないということが、常に念頭に置かれなければなりません。そうすることによって始めて、私たちは神に授けられた知性を活用し、論理的かつ正しい決断を下すことが出来るようになるのです。
イスラームが神による真の宗教であるという主張を支持する、いくつかの議論があります。以下は、その内の最も明らかな3つです。最初の議論とは、神に由来するこの宗教の名称と、その意味の包括性についてです。第2のものは、神、人間、被造物の間の関係についての独特かつ明快な教えに関するものです。第3のものは、イスラームがあらゆる時代のあらゆる人々にとって実践が可能であるというその包括性の事実に由来します。これらが、一つの宗教が神による真のものであるということを論理と理性によって決定付けさせるために必要な、3つの基本的な構成要素を成すものです。