アダムの物語(3/5):降下
イスラームはキリスト教の概念である原罪論、つまり全人類はアダムの行為によってみな罪深い状態で生まれてくるという概念を否定します。神はクルアーンの中でこう述べます。
“荷を負う者は、他人の荷を負うことはない。”(クルアーン35章18節)
全人類は自らの行為だけに責任を持ち、罪の無い純粋な状態で生を受けるのです。アダムとイヴは過ちを犯し、神への真摯な悔悟をし、神はその無限の慈悲によって二人を赦しました。
“二人がそれを食べると、恥かしいところがあらわになった。それで二人はその園の木の葉でそこを覆い始めた。こうしてアダムは主に背き、誤ちを犯した。その後、主はかれを選び、悔悟を赦され御導きになられた。”(クルアーン20章121−122節)
人類には、過ちと忘却にまつわる長い歴史があります。しかしながら、なぜアダムはこのような過ちを犯したのでしょうか? アダムにはサタンによる囁きと謀略の経験がなかったのです。サタンが神の命令に背いたとき、アダムはサタンの傲慢さを目にしていました。彼はサタンが敵 であることを知っていましたが、サタンの謀略と企みについては熟知していなかったのです。預言者ムハンマドはこう述べています。
“知識を持つことと、実際にそれを目にすることは違うのである。”(サヒーフ・ムスリム)
神は述べます。
“こうしてかれ(サタン)は二人を欺き、誤り導いた。”(クルアーン7章22節)
ア ダムが学び、経験を積むことの出来るよう、神は彼を試したのです。このようにして神はアダムを神の預言者、そして代理人としての地上での役割に備えさせま した。この経験により、アダムはサタンが狡猾で恩知らずな、人類の宿敵であるという大きな教訓を得たのです。アダムとイヴ、そして二人の子孫は、彼らが天国から追放された原因がサタンであることを知っています。神への従順、そしてサタンへの敵意は天国へ戻ることの出来る唯一の道なのです。
神はアダムに告げました。
“あなたがた二人は一緒にここから(地上へと)下がれ。あなたたちは互いに敵である。もしあなたがたにわれから導きが下れば、誰でもわが導きに従う者は迷うことはなく、また不幸に陥ることもないであろう。”(クルアーン20章123節)
クルアーンでは、アダムがその後、主の言葉を授かったと述べられています。それは神の赦しを祈願する祈りの言葉でした。この祈りの言葉は非常に美しいもので、罪の赦しを乞うときに使われるものです。
“主よ、わたしたちは誤ちを犯しました。もしあなたの赦しと慈悲を御受け出来ないならば、わたしたちは必ずや失敗者の類となってしまうことでしょう。”(クルアーン7章23節)
人 類は未だ過ちや失敗を犯し続け、それを通して私たちは自分自身に損害を与えます。私たちの罪や過ちは、神に害を与えたことはありませんし、これからも決し てそうすることはありません。もし神が私たちを赦し、慈悲を垂らしてくれなければ、私たちは間違いなく失敗者となります。私たちこそ、神を必要としている のです。
“「…地上にはあなたがたの住まいと、一定の期間の恵みがあろう。」かれは仰せられた。「そこであなたがたは生き、死に、またそこから(復活の時に)引き出されるであろう。」”(クルアーン7章24−25節)
アダムとイヴは天国を去り、地上に降り立ちました。二 人の降下は堕落によるものではなく、威厳を伴うものでした。日本語の文法においては名詞の数を明示しないことが一般的ですが、アラビア語に関してはそうで はありません。アラビア語においては単数形に加え、双数形という文法上の区分が存在し、複数形は三つ以上の場合に使用されます。
神が“一緒にここから(地上へと)下がれ”と 言ったとき、かれは複数形の言葉を使用したため、それはアダムとイヴだけに話しかけていたのではなく、二人とその子孫全体、つまり人類に対するものだった ことを指し示しています。アダムの子孫である私たち人類は、この地上に属しているのではなく、この滞在は一時的なものであることを“一定の期間”という言葉は示しています。私たちは来世に属するのであり、天国か地獄のどちらかが運命付けられているのです。
自由意志
上記の経験は重要な教訓であり、自由意志についても提示されています。も しアダムとイヴが地上で暮らすなら、二人はサタンの計略と企てに対して注意深くなければなりませんし、罪の重大な成り行きと、神の無限なる慈悲と赦しにつ いても理解しなければなりません。神はアダムとイヴが木の実を食べることをあらかじめ知っていました。またかれは、サタンが二人の純粋さを奪い去ることも 承知していたのです。
神 はあらゆる出来事の結果をあらかじめ知っており、それが起きることを許可しますが、強制してはいません。アダムには自由意志があり、自分自身の行為によっ て発生する成り行きの責任を負っていたのです。人類にも自由意志があるため、神に背くことも出来ます。しかしそこからも結果が発生するのです。神はかれの 指令に従うものたちを称賛し、偉大なる報奨を約束しますが、かれに背くものたちを咎め、そうすることに対し警告をします1。
アダムとイヴが降り立った場所
地上のどこにアダムとイヴが降り立ったのかという問題に関しては多くの報告が存在しますが、それらはどれ一つとしてクルアーンとスンナに基づいたものではありません。それゆえ、彼らの降下に関しては重要なことではなく、そのことを知ったとしても有益性はないのです。
しかしながら、アダムとイヴが地上に降りたのは金曜日であることが判明しています。金曜日の重要性を述べる伝承の中で、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)はこのように言っています。
“太陽が上って以来、最良の日は金曜日である。この日にアダムは創られ、この日に彼は地上へと降り立ったのである。”(サヒーフ・ブハーリー)