真の宗教(5/8):神による諸宗教の普遍性
偽の宗教に従うことによって払わなければならな くなる代償は非常に深刻であるため、神による真の宗教は普遍的な価値観を共有し、かつ時間や場所にとらわれず常に理解し易いもの・習得し易いものでなけれ ばなりません。言い換えると、神による真の宗教とは特定の人種・地域・時代に限定されたものであってはならないのです。またそうした宗教が、洗礼・救世 主・仲介者のような神と人間との関係に全く関係ないものを信仰における条件として定めることも理にかなったことではありません。イスラームの根本教義とそ の定義(自らの意思を神に服従させること)の中には、イスラームの普遍性のルーツが横たわっています。神が唯一無比であり、被造物とはかけ離れているとい うことが実感されると、人は神に服従し、心と身体の双方においてムスリムとなり、天国に入る資格を得るのです。
世 界の最も辺境に住むような人物であれ、被造物の崇拝を拒否し、神のみへと立ち返ることで、神の宗教であるイスラームの追従者となることが出来ます。ただ し、実際に神の御意に服従するには、常に善悪の選択をしなくてはならないことが念頭に置かれなければなりません。人は神によって善悪の区別だけではなく、 どちらかを選択する能力が授けられています。神によって授けられたそうした能力には、自らの選択について責任を負うという重要なことが付随します。また、 人は善行に務め、悪行を避ける最善の努力もしなければなりません。こうした概念は、最終啓示において明確に述べられています。
“本当に(クルアーンを)信じる者、ユダヤ教徒、キリスト教徒とサービア教徒で、アッラーと最後の(審判の)日とを信じて、善行に勤しむ者は、かれらの主の御許で、報奨を授かるであろう。かれらには、恐れもなく憂いもないであろう。”(クルアーン2:62)
これらが明白にされた後、何らかの理由によって最終啓示を受け入れることが出来ないという事態になれば、重大な危険が待ち受けています。最後の預言者はこのように述べています。
“キリスト教徒やユダヤ教徒の誰であれ、私について耳にしながら、私のもたらしたものを認めないままの状態で死んだのであれば、地獄の住人となるであろう。”(サヒーフ・ムスリム 第1巻91頁284番)