神は未来を知るのか?
神は未来を知るのか?
神はこれから起こることを全て知っているのでしょうか?-彼は全ての結果に関して絶対的支配権を持っていますか?― もしそうであれば、私達にとって正当でしょうか?私達の自己意思はどこにあるのでしょうか?
アッラーは全ての起こりうる事をご存知です。彼が先ず初めに創造したものは「ペン」で、彼はそのペンに書くように命じました。そのペンは全ての起こりうる事を書き終えるまで書きました。そしてアッラーは全宇宙を創造しました。それを創造する前にアッラーは全てを知り給いました。彼はいつでも絶対で完全な支配をします。
またアッラーはかれらの心中の激怒を除き,御心に適う者の悔悟を赦されるであろう。アッラーは全知にして英明であられる。
(悔悟章:15節)
本当にかれは全知にして英明であられます。
(ユースフ章100節)
そしてアッラーにこそ自由意志があります。彼が好むことは何でも意図され、彼が意図されることは常に起こります。私達には「自由意志」と呼ばれるものがあります。その違いはアッラーが意図されることは必ず起き、私達が選択する事は起こるかもしれないし、起こらないかもしれないということです。私達は物事の結果に関しては裁かれませんが、私達の選択に関して裁かれます。という事は全ての芯は常にわれわれの意図にあるという事です。我々が意図した事は何でも、我々が報酬を与えられるものです。それぞれアッラーが与えて下さった仕事を持って、それをどうしたか、それをどうするつもりだったのかによって判断されます。
実際の「最後の審判の日」に関しては、アッラーは我々の行いの全てが記録され、どれほど小さい行いもこの記録から逃れられないといいます。一微塵の重さほどの善行でさえ、審判の日に見る事ができ、一微塵の重さほどの悪行も見る事ができます。
その日,人びとは分別された集団となって(地中から)進み出て,かれらの行ったことが示されるであろう。
一微塵の重さでも,善を行った者はそれを見る
一微塵の重さでも,悪を行った者はそれを見る。
(聖クルアーン 地震章6-8節)
我々に不利な証拠を持ってくるのは、自分自身でしょう。私達の耳や、舌、目、そして私達の身体は、審判の日アッラーの目前で私達に不利な証言を始めます。その日に圧制される者はおらず、不正に訴えられる者もありません。
彼は、最初から誰にでもそれぞれの身のほどを思い知らせることができました。しかし彼らは新たな機会を与えられる事なく、地獄に放り込まれた理由に関して不満を言います。この人生は正確にそれです。我々が本当に誰であるか、そして自由な選択があるのなら、我々が本当に何をするのか、自分自身に証明する機会です。アッラーは何が起こるか全てをご存知ですが、我々は知りません。そういうわけで、テストは公平です。
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