ユースフ・エステス 元キリスト教牧師(1/5)
多くの人は、なぜキリスト 教の宣教師であり牧師でもある人物が、特に昨今のイスラームとムスリムに対する好ましくない風潮の中で、イスラームに転向してしまったのか、私に聞いてき ます。彼らの一部はただ単純に好奇心から、そしてまた一部は私のイスラームへの改宗に対する強い嫌悪感から、そうします。また彼らは、なぜ私がイエスに背 いたのか、そして私が精霊を本当に理解していたのか、または私が自らを「新生」したと見なしているのかどうか、あるいは全く救済すらされていなかったのか と聞いてきます。これらの質問には、この投稿の最後で答えています。そしてまずは、私のつまらない話に興味を持ってくれている皆さんに感謝したいと思いま す。
ある一人のとても丁寧なキリスト教徒の男性が、なぜ私がキリスト教を棄ててイスラームに入信したのかとEメールで質問してきました。この投稿は、私が彼に宛てたものに編集を加えたものです。
はじめに
私の今の名前はユースフ・エステスですが、かつて人々はスキップと呼んでいました。まだ少年だった1950 年代から、私はキリスト教を宣教しつつ、エンタメ・ビジネスと音楽業界で働いていました。私は父と音楽店、テレビ・ラジオ番組、野外プログラムなどを立ち 上げました。私はミュージシャンの牧師で、ポニーに乗った「おどけ者のスキッピー」として子供たちを楽しませていました。
かつて、私は宗教指導者のための国連和平会議に代表者として出席したことがあります。現在は、ワシントンDC にある連邦刑務所局のムスリム宣教職を引退後、ムスリム学生、青年団体、ムスリム児童のための学校などによって構成される、多くの米国人ムスリムと活動を しています。そのため私は世界中を旅し、クルアーンの中にある、イスラームにおけるキリストの教えを説いて回っています。私たちはすべての宗教と意見交換 や討議会の機会を設け、あちこちのラビ、牧師、宣教師、司祭たちと協力しています。また私たちは組織、軍隊、大学、牢獄などでも活動しています。私たちの 目標は、ムスリムがあるべき正しいイスラームの教えを教育し、伝播することです。イスラームは世界宗教として、信者の数ではキリスト教と肩を並べるほどに 成長しましたが、「平和、降伏、神への従順」の教えを正しく理解・体現出来ていない多くのムスリムたちが、イスラームを持ち出しているのを目にします。
すみません、少し話が飛躍してしまったようです。キリスト教の一部の問題について解明しようとする一方で、私が経験した物事を同じように経験した人たちにとって役立つかも知れないと思い、私たちの活動についての背景を少し説明したいと思ったのです。
それは、いかにして起きたか
私たちは神、イエス、預言者性、罪、救済についていくつかの異なる観点を持っているるため、これは奇妙に思えるかも知れません。しかし、私は多くの人々と同じ境遇を共にしていたのです。そのことについて説明しましょう。
私はアメリカ中西部の、非常に敬虔なキリスト教徒の家庭に生まれました。私の家族、そして先祖は、この土地に教会や学校を建てただけでなく、過去に移民してきた人々そのものだったのです。1949年(私は老いぼれです)、まだ小学生だったとき、私たちはテキサス州のヒューストンに引っ越しました。私たちは定期的に教会に通い、私は12歳 のときにパサデナで洗礼を受けました。私はティーンエージャーにして、他の教会にも通って彼らの教えと教義を学ぶことを望んでいました。バプティスト派、 メソジソスト派、監督派、カリスマ派、ナザレ派、キリスト教会、神の教会、キリストにおける神の教会、純福音派、アガペ会、カトリック、長老派教会などを 含め、多くの宗派について学びました。私はいわゆる「善き知らせ」とされた「福音」に対する渇望を身につけました。私は宗教に対する研究をキリスト教だけ に留めませんでした。ヒンズー教、ユダヤ教、仏教、形而上学、ネイティブアメリカンの信仰はすべて、私の研究対象でした。私が手を付けなかったほぼ唯一の ものが、イスラームだったのです。どうしてかって? 良い質問です。
ミュージシャンの牧師
い ずれにせよ、私はゴスペルやクラシックを始め、様々なジャンルの音楽にも興味を持ち始めていました。私の家族全体が宗教的かつ音楽的だったので、私自身も 双方の勉強を始めたのです。これらのことが、私が関わった多くの教会におけるミュージシャンの牧師としての立場を確立させることになりました。1960年には鍵盤楽器を教えだし、1963年には、メリーランド州ローレルに「エステス・ミュージック・スタジオ」を開設しました。