平安
私達は心の平穏や満足だけでなく、精神的、社会的、そして世界的な平和を、クルアーンと預言者の伝承というかけがえのない遺産を通して達成することができます。
要約すれば、イスラームはそれら二つの真正な典拠を基にして教示されます。 クルアーンと預言者の伝承は、私達が唯一なる神(アッラー)を信じることにより、心の平安と幸福、魂の救済を獲得できると述べています。また、私達は神が遣わしたすべての正しい預言者たちをも、信じなければなりません(預言者ムハンマドも含みます)。そして彼らの正しい導きと、その教えに従うことが求められるのです。
しかしながら、イスラームではアッラーを唯一なる神と信じ、かれの預言者たちを信じるだけでは、心の平安や幸福(安寧)、魂の救済を得るには十分ではないと説いています。
私達はアッラーのみを崇拝し、かれの命を遵守することによって、アッラーの意志に沿わなければなりません。
アッラーの意志に従順に従うことは、アッラーが教示するところの本質の部分です。かれに従順に従うことの意味を誠実に理解し、アッラーを信じて善行に励んだ者に対して、アッラーは報奨を準備されています。
クルアーンの中では、こう述べられています。
「本当に、信じ、正しい行いに励んだ者たちは、楽園の園を来世の住処として得ることになろう」(18:107)
同様に、聖書の報告の中にはイエス・キリストの兄弟、ヤコブの言葉としてこう述べられています。
「ちょうど魂の抜けた身体が死んだものであるかのように、行為の伴わない信仰も死んだようなものである。」(ヤコブの手紙 2:26)
興味深いことに、同書(ヤコブの手紙 4:7)では前述で述べたイスラームの意味がはっきりと触れられています。
「あなた自身、神に服従するのです」(ヤコブの手紙 4:7)
それ故ムスリムは、イエス・キリストと彼の前に遣わされた数多くの預言者たちの、正しい追従者でもあるのです。「ムスリム」とは、「自らの意志を唯一の正しい神に服従させる者」という意味です。ムスリムはアッラーが唯一の正しい神であるという確信を持ち、正しい行いを心掛けます。彼らはイエス・キリストや先の預言者たちが教え、行ったように従い、神の命ずるところに服します。その例としては、唯一真実の神のみを信仰すること、礼拝を行い、その際にひれ伏し、膝まずくこと、斎戒し、施しを与え、慈悲を投げかけること、「(予定や後々に起こること等に対して)アッラーの御心ならば」(インシャー・アッラー)と言うこと、イエス・キリストや先の預言者たちの挨拶である「あなたの上に平安がありますように」(アッサラーム・アライクム)という言葉を使うこと等があるのです。
これらの既述された、いくつかの例と根拠の一部分は、全ての預言者たちが説いた美しい教え、つまり「イスラーム」の明白な真実性、統一性、そして普遍性を示します。
実際の話として、ムスリム、もしくはムスリムになるつもりの人々は、6つの信条を信じなければなりません。