アッラーとは?


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アッラー(I)は仰っています:

-かれこそはそれ以前にも、それ以後にも何ものも存在しないお方であり、最も高くかつ最も近いお方である。そしてかれは全てをご存知なのだ。,(クルアーン57:3)

また、アッラー(I)は仰います:

-かれこそはアッラー、かれ以外に崇拝すべきものは存在しない。(かれこそは)真の王。この上なく神聖なるお方。最も平安なるお方。最も平安を与えられるお方。最もよく監視されるお方。最も偉大なるお方。全てを従えられ、最も高遠なるお方。かれは彼ら(不信仰者)がかれに並べて配しているものなどからは無縁な、この上なく崇高なるお方である。かれこそはアッラー。(かれこそは)創始者であり、造物主であり、造形主。かれにこそ美名は属する。天地にあるものは全てかれの崇高さを讃えるのだ。そしてかれはこの上なく偉大で、英知溢れたお方であられる。,(クルアーン59:22-24)

また、アッラー(I)はこうも仰っています:

-アッラーはかれの他に真に崇拝すべきものがなく、永生し全てを司る御方。まどろみも熟睡も、かれをとらえることはない。天地にある全てのものは、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。かれは(人々の)以前のことも以後のことをもご存知である。かれの御意に適ったことの他、彼らはかれの御知識に就いて、何も会得するところはないのである。かれの玉座は、全ての天と地を覆って広がり、この2つを守って、疲れも覚えられない。かれは至高にしてこの上なく偉大であられる。,(クルアーン2:255)

イスラームにおいて、アッラーは知られ得る存在です。というのもこの宗教は、アッラーがいかなる存在かということを説明し、かれの美名を教え、そしてまた私たちがどのようにかれに祈願すべきか、いかにしてかれのお近づきという光栄を得ることが出来るか、ということを明らかにしているからです。アッラーの特性としては、以下のようなものがあります:

1)アッラーは存在する。全宇宙とそこに存在するものは全て、アッラーの存在を証明しています。アッラー(I)はこう仰いました:

-言え、「天地にあるもの全てに目を凝らすのだ。」しかし信仰しない民には、いかなるみしるしも警告も役立つことがない。,(クルアーン10:101)

2)アッラーは唯一であり、かれの主権に共同するいかなるものも存在しない。アッラーには妻や子などなく、全被造物はかれに全面的に依拠しています。かれにはパートナーもライバルもなく、また比肩し得るものもありません。またアッラーはいかなる被造物も必要とされることはありませんが、全ての被造物はアッラーを必要としています。かれは何かから生じたわけでも、また何かを生むわけでもありません。アッラー(I)は仰っています:

-言え、「かれこそは唯一なるアッラー。アッラーこそは全てのものが依拠するところの主。かれは生むことも生まれることもなく、そしてかれに匹敵する何ものもない。」,(クルアーン112:1-4)

3)アッラーは全てをご存知であり、全てに通暁されている。アッラー(I)は仰ります:

-そしてわれら(アッラーのこと)があなた方の証人となることなしには、あなた(ムハンマドr)が何かを意図し行うこともなければ、クルアーンを読むこともなく、またあなた方が何らかの行為を没頭して行うこともないのだ。そして小蟻ほどの重さのものであっても、あるいはそれより小さい、あるいは大きなものであっても、天地においてあなたの主から隠れられるものはないのである。,(クルアーン10:61)

4)アッラーは永遠に生きられるお方であり、滅びることがない。アッラー(I)は仰っています:

-かれは永生されるお方。かれ以外に崇拝すべきものは何もない。ゆえにかれに何ものも並べて配することなく、かれのみを真摯に崇拝するのだ。万有の主アッラーにこそ讃えあれ。,(クルアーン40:65)

5)アッラーは完全に公正なるお方。アッラーは暴虐や抑制、不正などを行われることのないお方です。アッラー(I)はこう仰ります:

-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは精算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)

6)アッラーはいかなるものにも相似されないお方。アッラーはいかなるものにも相似することがありません。またいかなるものも、アッラーの御業や特性に関して比較されることもありません。アッラーは全側面において、完璧さを有しているのです。かれがその実現をお望みになることは実現しないことがなく、またかれがそうお望みになられないことは、決して起こり得ません。アッラー(I)はこう仰います:

-アッラーは、かれ以外に崇拝すべきもののないお方。かれには最高の美名が属する。,(クルアーン20:8)

またアッラー(I)は、こうも仰っています:

-天地の創造主。(かれは)あなた方自身からあなた方の配偶者をお創りになり、そして家畜にもつがいをお創りになられた。こうしてあなた方は繁殖する。かれ(アッラー)に似たものは何1つない。にも関わらず、かれは全てを聞き、ご覧になられるお方なのである。,(クルアーン42:11)

アッラーには数多くの美名と特性があります。そしてそのいずれも、かれの完璧さと荘厳さを示しているのです。もしお望みであれば、それらについて詳細に説明してくれる書物を参照してみるとよいでしょう。

尚アッラーの美名の数は、無制限です。預言者ムハンマド(r)はこう言いました:

「辛苦や悲しみにある時に:

「アッラーフンマ・インニー・アブドゥカ、イブヌ・アブディカ、イブヌ・アマティカ、ナースィヤティー・ビヤディカ、マーディン・フィーヤ・フクムカ、アドゥルン・フィーヤ・カダーウカ、アスアルカ・ビクッリスミン・フワ・ラカ、サンマイタフ・ビヒ・ナフサカ、アウ・アンザルタフ・フィー・キタービカ、アウ・アッラムタフ・アハダン・ミン・ハルキカ、アウィスタアサルタ・フィー・イルミルガイビ・インダカ、アン・タジュアラルクルアーナ・ラビーア・クルービー、ワ・ヌーラ・サドゥリー、ワ・ジャラーア・フズニー、ワ・ザハーバ・ハンミー。(意味:「アッラーよ、私はあなたのしもべです。あなたの男のしもべの息子で、あなたの女のしもべの息子です。私の前髪はあなたの御手に委ねられています[1]。あなたの私に対する裁定は既に成され、私に関するあなたの判決は公正です。私はあなたが自らそう名付けられた、あるいはあなたの啓典の中で下された、あるいはあなたがあなたの創造物の内の何ものかに教えられた、あるいはあなたが不可視なる知識においてそれを占有されている全ての御名において、クルアーンを私の心の春とし、私の胸中の光とし、私の悲しみや不安を取り除くものとして下さい。」)

…と唱える者には、アッラーがその悲しみを喜びに代えて下さるであろう。」(アフマドとイブン・ヒッバーンの伝承)

しかしアッラーの美名と特性は、被造物の有するそれとは異なる次元のものです。たとえばアッラーは存在しますが、その存在は、被造物の存在とは異なるものなのです。またアッラーはお聞きになられますが、それは被造物の「聞く」という特性とは異なるものです。同様にアッラーはご覧になられますが、それは被造物の「見る」という特性とは違うものなのです。この一般原則は、アッラーに属する全ての美名と特性に適用されます。アッラー(I)ご自身、ご自分を描写されてこう仰いました:

-しかし彼ら(人間)は、かれのことを全く知りかねるのだ。,(クルアーン20:110)

人間は、アッラーの荘厳さを完全に把握することは出来ません。アッラー(I)はこう仰いました: 

-視覚がかれ(アッラー)を捉えることはなく、かれこそが視覚を捉えられるのである。かれこそは霊妙にして、全てをご存知になられるお方。,(クルアーン6:103)

一方で人間は、あらゆる物事において真実を探求したいという天性と共に創造されました。ゆえにアッラーとその存在についての熟考が、信仰心の否定に繋がることはありません。それどころか、それは信仰心を示す一つの兆候であるとさえ言えるでしょう。   

教友アブー・フライラ(t)はこう伝えています:

「何人かの教友が、預言者ムハンマドrにこう尋ねたことがありました:“時々私たちは、口にするのもはばかれるようなことを考えてしまうのですが?”彼はこう言いました:“そんなことがあるのか?”彼らは頷きました。すると、預言者はこう言ったのです:“それこそが、真の信仰心の印[2]なのである。”」(ムスリムの伝承)

このような考えは、あらゆる手段を用いて人々をアッラーの宗教から迷わせようとする、シャイターン(悪魔)の囁きによるものです。シャイターンは、過去そのように誓いました。アッラーはクルアーンの中で、シャイターンが次のように言ったことに言及されています:

-(イブリース:シャイターンは)言った:「いかがでしょうか?あなたはその者を私よりも尊ばれましたが、もし審判の日まで私に猶予を与えて下さるのであれば、私はごく僅かなる者を除いて、必ずやその全子孫を迷わせてしまいましょう。」,(クルアーン17:62)

また教友イブン・アッバース(t)は、預言者ムハンマド(r)がこう言ったと伝えています:

「ある男が預言者ムハンマド(r)のもとにやって来て、こう言いました:“アッラーの使徒よ、私はそんなことを口外することよりも、空に投げ飛ばされてしまう方がましだ、というようなことを時に考えてしまいます。”すると彼(r)は答えました:“アッラーは偉大なり!アッラーは偉大なり!そのような考えが、シャイターンの姦計と悪い囁きであるということをあなたにお授けになられたアッラーに、讃えあれ!”」(アフマドの伝承)

シャイターンは人間が、人間の知性が理解不可能なことにまで問いかけるよう策略します。そのような状態になった場合、以下のような預言者ムハンマド(r)の言葉を参考にするとよいでしょう。

「人は問い続ける。そして最後には、“アッラーは被造物をお創りになられた。それではアッラーを創ったのは誰なのか?”などという質問をするまでに至るであろう。そのような所にまで到達してしまったら、こう言うのだ:“私はアッラーを信じる。”」(ムスリムの伝承)

またアッラーの使徒(r)は、別の形でこのような邪念を振り払う方法を教示しています。彼はこう言いました:

「シャイターンはあなた方のもとを訪れ、こう言うであろう:“これを創造したのは誰か?”そしてその質問は、最後には“創造主を創造したのは誰か?”という所にまで到達するであろう。このような状態になったら、アッラーにシャイターンからのご加護を乞い、質問を止めるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)

またアッラーはクルアーンの中で、その真実性を確証されています。アッラー(I)はこう仰いました:

-それでシャイターンからの囁きがあなたに囁きかけて来たら、アッラーにご加護を乞うのだ。かれこそは全聴にして全知なるお方である。,(クルアーン7:200)

 



[1] 被造物は全てアッラーの支配下にあるということを表しています。

[2] ここで言う「真の信仰心の印」とは、彼らが口にすることもはばかれることを考えはしたものの、信仰心ゆえにそれを口外することを思い留まった状態のことを示しています。無論のこと、そのような考えが起こること自体は信仰心ゆえのことなどではなく、むしろシャイターン(悪魔)の囁きによるものと言えるでしょう。

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