イスラームにおける非ムスリムの権利(8/13):公正を受ける権利・上


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神はムスリムに対し、諸事において公正であり、皆を平等に扱うよう求めています。神はこう述べます。


 “かれは天を高く掲げ、秤を設けられた。あなたがたが秤を不正に用いないためである。厳正に平衡を旨とし量目を少なくしてはならない。また大地を、生あるもののために設けられた。”(クルアーン55:7−10)


たとえ結果的に自分、または親近者に不利な状況となることが予測されても、ムスリムは公正に振舞うよう、神ご自身から命じられているのです。


 “あなたがた信仰する者よ、証言にあたって神のため公正を堅持しなさい。たとえあなたがた自身のため、または両親や近親のため(に不利な場合)でも、また富者でも、貧者であっても(公正であれ)。神は(あなたがたよりも)双方にもっと近いのである。だから私欲に従って、(公正から)逸れてはならない。あなたがたがたとえ(証言を)曲げ、または背いても、神はあなたがたの行うことを熟知なされる。”(クルアーン4:135)


神は私たちが、すべての状況において公正であるよう求めます。


 “誠に神は、あなたがたが信託されたものを、元の所有者に返還することを命じられる。またあなたがたが人の間を裁く時は、公正に裁くことを命じられる。神があなたがたに訓戒されることは、何と善美なことよ。誠に神は全てを聴き凡てのことに通暁なされる。”(クルアーン4:58)


非ムスリムに対するイスラーム的公正さは多岐にわたります。イスラームは彼らが自分たちの宗教の裁判所に行くことを認めます。また、たとえ彼らがイスラーム法廷で裁判を委託することを選んだとしても、彼らには公平性が保証されるのです。神はこう述べています。


 “かれらがもしあなたの許に来たならば、かれらの間を裁くか、それとも相手にするな。もしあなたが相手にしなくても、かれらは少しもあなたを害することは出来ないであろう。またもし裁くならば、かれらの間を公平に裁決しなさい。神は公平に行う者を愛でられる。”(クルアーン5:42)


もしもムスリムが、非ムスリムのズィンミー(イスラーム国家内に居住する非ムスリム庇護民)から窃盗したとしても、彼はズィンミーがムスリムから窃盗した場合と同様の懲罰を受けます。同様に、ムスリムがもし契約によって保護下にある誰かを中傷すれば、名誉毀損の懲罰を受けることは免れ得ないのです1


イスラームの歴史からは、ムスリムの非ムスリムに対する公正さの素晴らしい例を見て取ることが出来ます。タイマという名の男が隣人であるカターダの鎧の一式を盗みました。カターダは小麦粉の袋の中に鎧を隠していたため、タイマがそれを盗んだ際、袋には小さな穴が空いており、彼の家まで続く小麦粉の跡が残されてしまいました。タイマは自らの犯行を隠蔽するため、ザイドという名のユダヤ教徒の家に鎧を預けました。人々が盗まれた鎧を探したとき、彼らは小麦粉の跡をタイマの家まで追跡しましたが、そこには鎧がありませんでした。タイマは問い詰められたとき、自分は盗んでおらず、それについては何も知らないことを宣誓しました。カターダを手助けする人々も、タイマが夜にカターダの家に忍び込んだのを目撃し、その後に小麦粉の跡を追跡した結果、彼の家に辿り着いたことを宣誓しました。しかしタイマが自らの潔白を誓うと、彼らはさらなる証拠を求め、最終的には細い小麦粉の跡がザイドに家に続いているのを発見し、ザイドを拘束しました。


ザイドはタイマが鎧を置いていったことを彼らに告げ、彼のユダヤ人の同胞たちもそのことを証言しました。タイマの属する部族は代表団を神の使徒に送り、彼らの置かれている状況を説明しました。代表団はこのように陳述しました。「もしもあなた様が我々の部族の一員であるタイマを擁護しないのであれば、彼は評判を失い、厳しい懲罰を受けることになるでしょう。そしてユダヤ教徒たちは自由になってしまいます。」当初、預言者は彼らを信じる方向に傾いていましたが、神はそのユダヤ教徒の嫌疑を晴らす次の啓示を下しました2。これらの節は今日に渡り、ムスリムたちによって朗誦され、全人に公正さをもって接することへの訓戒となっているものです。


 “誠にわれは、真理をもってあなた(ムハンマド)に啓典を下した。これは神が示されたところによって、あなたが人びとの間を裁くためである。あなたは背信者を弁護してはならない。神の御赦しを請いなさい。神は寛容にして慈悲深くあられる。自らの魂を歎く者を弁護してはならない。神は背信して罪を犯す者を御好みになられない。かれらは人に(その罪を)隠せるが、神に隠しだてすることは出来ない。夜中にかれの御喜びになられないことを、策謀する時でも、かれはかれらと共においでになられる。誠に神は、かれらの行う一切のことを御存知であられる。これ、あなたがたは現世の生活の上でかれらのために弁護している。だが誰が、復活の日に、かれらのため神に弁護出来よう。また誰が、かれらの事の保護者となろうか。”(クルアーン4:105−109)




Footnotes:

1           Masud, Fahd Muhammad Ali, ‘Huquq Ghayr is-Muslimeen fid-Dawla al-Islamiyya,’ p. 138-139, 144-149.

               Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p. 32-33.

               Zaydan, Dr. Abd al-Karim, ‘Ahkam al-Dhimmiyin wal-Mustami’nin,’ p. 254.

2           Wahidi, ‘Al-Asbab an-Nuzool,’ p. 210-211

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