クルアーンの中のイエスとマリアの物語(その1):マリア


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“本 当に神は、アダムとノア、そしてアブラハム一族の者とイムラーン一族の者を、諸衆の上に御選びになられた。かれらは、一系の子々孫々である。神は全聴にし て全知であられる。イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え、「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわ たしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」それから出産の時になって、かの女は(祈って)言った。「主よ、わたしは 女児を生みました。」神は、かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマリアと名付けました。あなたに御願いし ます、どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」”(クルアーン3章33〜36節)


マリアの幼少期

“そ れで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。ザカリーヤーが、かの女を見舞って聖所に 入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マリアよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これは神 の御許から(与えられました)。」本当に神は御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。”(クルアーン3章37節)

 


敬虔な信仰者マリア

 “天使たちがこう言った時を思い起せ。「マリアよ、誠に神はあなたを選んであなたを清め、万有の女人を越え て御選びになられた。」「マリヤよ、あなたの主に崇敬の誠を捧げてサジダしなさい。ルクーウ(立礼)するものと一緒にルクーウしなさい。」これは幽玄界の 消息の一部であり、われはこれをあなたに啓示する。かれらが籤矢を投げて誰がマリヤを養育すべきかを決めた時、あなたはかれらの中にいなかった。またかれ らが相争った時も、あなたはかれらと一緒ではなかった。”(クルアーン3章42〜44節)

 


出産の吉報

 “また天使たちがこう言った時を思え。「マリヤよ、本当に神は直接ご自身の御言葉で、あなたに吉報を伝えら れる。マリヤの子、その名はイエス・キリスト、かれは現世でも来世でも高い栄誉を得、また(神の)側近の一人であろう。かれは揺り籠の中でも、また成人し てからも人びとに語り、正しい者の一人である。」かの女は言った。「主よ、誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」 かれ(天使)は言った。「このように、神は御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」主は啓 典と英知と律法と福音とをかれに教えられ、そしてかれを、イスラエルの子孫への使徒とされた。(イエスは言った。)「わたしは、あなたがたの主から、印を 齎したのである。わたしはあなたがたのために、泥で鳥の形を造り、それに息を吹き込めば、神の御許しによりそれは鳥になる。また神の御許しによって、生れ 付きの盲人や、癩患者を治し、また死者を生き返らせる。またわたしは、あなたがたが何を食べ、何を家に蓄えているかを告げよう。もしあなたがたが(真の) 信者なら、その中にあなたがたへの印がある。わたしはまた、わたしより以前に下された律法を実証し、またあなたがたに禁じられていたことの一部を解禁する ために、あなたがたの主からの印を齎したのである。だから神を畏れ、わたしに従いなさい。.本当にわたしの主は神であり、またあなたがたの主であられる。だからかれに仕えなさい。これこそは、正しい道である。」”(クルアーン3章45〜51節)

 


“ま たこの啓典の中で、マリア(の物語)を述べよ。かの女が家族から離れて東の場に引き籠った時、かの女はかれらから(身をさえぎる)幕を垂れた。その時われ はわが聖霊(ガブリエル)を遣わした。かれは1人の立派な人間の姿でかの女の前に現われた。かの女は言った。「あなた(ガブリエル)に対して慈悲深き御方1の 御加護を祈ります。もしあなたが、主を畏れておられるならば(わたしに近寄らないで下さい)。」かれは言った。「わたしは、あなたの主から遣わされた使徒 に過ぎない。清純な息子をあなたに授ける(知らせの)ために。」かの女は言った。「未だ且つて、誰もわたしに触れません。またわたしは不貞でもありませ ん。どうしてわたしに息子がありましょう。」かれ(天使)は言った。「そうであろう。(だが)あなたの主は仰せられる。『それはわれにとっては容易なこと である。それでかれ(息子)を人びとへの印となし、またわれからの慈悲とするためである。(これは既に)神の御命令があったことである。』”2(クルアーン19章16〜21節)


純潔な懐妊

 “また自分の貞節を守った女(マリア)である。われはかの女にわが霊を吹き込み、かの女とその子を万有のための印とした。”3(クルアーン21節91章)

 


イエスの生誕

 “こうして、かの女はかれ(息子)を妊娠したので、遠い所に引き籠った。だが分娩の苦痛のために、ナツメヤ シの幹に赴き、かの女は言った。「ああ、こんなことになる前に、わたしは亡きものになり、忘却の中に消えたかった。」その時(声があって)かの女を下の方 から呼んだ。「悲しんではならない。主はあなたの足もとに小川を創られた。またナツメヤシの幹を、あなたの方に揺り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が 落ちてこよう。食べ且つ飲んで、あなたの目を冷しなさい。そしてもし誰かを見たならば、『わたしは慈悲深き主に、斎戒の約束をしました。それで今日は、誰 とも御話いたしません。』と言ってやるがいい。」それからかの女は、かれ(息子)を抱いて自分の人びとの許に帰って来た。かれらは言った。「マリアよ、あ なたは、何と大変なことをしてくれたのか。アロンの姉妹よ、あなたの父は悪い人ではなかった。母親も不貞の女ではなかったのだが。」そこでかの女は、かれ (息子)を指さした。かれらは言った。「どうしてわたしたちは、揺籠の中の赤ん坊に話すことが出来ようか。」その時)かれ(息子)は言った。「わたしは、 本当に神のしもベです。かれは啓典をわたしに与え、またわたしを預言者になされました4。 またかれは、わたしが何処にいようとも祝福を与えます。また生命のある限り礼拝を捧げ、喜捨をするよう、わたしに御命じになりました。またわたしの母に孝 養を尽くさせ、高慢な恵まれない者になされませんでした。またわたしの出生の日、死去の日、復活の日に、わたしの上に平安がありますように。」”(クルアーン19章22〜33節)


 “イエスは神の御許では、丁度アダムと同じである。かれが泥でかれ(アダム)を創られ、それに「有れ。」と仰せになるとかれは(人間として)存在した。”5(クルアーン3章59節)


 “またわれは、マリアの子とその母を印となし、両人を泉の涌き出る安静な丘の上に住まわせた。”6(クルアーン23節50章)


マリアの卓越性

 “また神は、信仰する者のために例を示される。ファラオの妻である。かの女がこう言った時を思い起しなさ い。「主よ、楽園の中のあなたの御側に、わたしのため家を御建て下さい。そしてファラオとその行いから、わたしを救い、不義を行う者から、わたしを御救い 下さい。」またわれは自分の貞節を守ったイムラーンの娘マリア(の体内)に、わが霊を吹き込んだ。かの女は、主の御言葉とその啓典を実証する、敬虔な(し もべの)一人であった。”(クルアーン66章11〜12節)



Footnotes:

1 「慈悲深き御方」は、クルアーンの中で見出すことの出来る神の御名の一つです。

2           イ エスの存在とは、神がご自身の力を人々に示す印の一つです。イエスはまた、神が人々を死後に復活させることが出来るという印でもあります。無から何かを創 り出すことの出来る者は、それらを死から蘇らせることも出来るからです。また彼は、終末が近づくと現れる反キリストを倒す、審判の日の印でもあります。

3           アーダムが両親なくして神によって創造されたのと同様、イエスの誕生も父の存在がない、母親だけによるものでした。神が何かを起こしたいときには、「在れ」と言うだけで、それは存在することになります。神は全能者であるからです。

4    預言者とは、人間が到達することの出来る最も高く、最も栄誉ある地位です。また預言者とは、天使ガブリエルを介して神からの啓示を受け取ることの出来る人物のことでもあります。

5 アダムは神が「在れ。」と言って創造されたのであり、それは父母の存在のないものでした。イエスもまた、神の言葉によって創造されたのです。一人の親によ る通常の誕生ゆえに彼が神聖視されるのであれば、両親がなかったアダムは、より神聖視されなければならないということになるでしょう。しかしアダムは神で はないため、イエスも神ということではなくなります。実際にこの二人は、共に敬虔な神のしもべなのです。

6 ここが、マリアがイエスを生んだ場所です。

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