ヌール 英国在住・元ヒンズー教徒(前半)
私は純粋なヒンズー教徒の家庭出身で、私たち女性はいずれは結婚し、子供を持ち、夫が親切であるかどうかに関わらず、奉仕することが当たり前であると教えられてきました。他にも、そこには女性を抑制する多くの事柄があることに気付きました。
例えば女性は未亡人になると、常に白のサリ(衣装)を身にまとい、菜食主義となり、髪を短くし、決して再婚することが許されません。また婚資を支払うのは、新婦が新郎の家族に対してです。新郎は、新婦にとって与えるのが困難なものであっても、それを求めることが出来ます。
そ れだけでなく、結婚後に新婦が婚資を完全に支払うことが出来なければ、彼女は精神的にも肉体的にも拷問を受けることになり、夫または夫と義理の母の双方か ら、台所で料理中に火を付けられ、「台所死」の犠牲者となり、それが事故死であるかのように装われるのです。これは実際に多く起きていることです。私の実 の父の友人の娘は去年、それと同じ運命を辿ったのです!
こ れらすべてに加え、ヒンズー教における男性は、文字通り神々と同等に扱われています。ヒンズー教の宗教的祝祭日のひとつには、未婚少女たちが特定の神(シ ラ)を象徴する偶像を崇拝し、それと同じような夫を授かるよう祈ります。私の実の母も私がそうするように求めました。このことは、それが迷信や根拠のないものに基づいた宗教であり、女性を抑圧する伝統に過ぎないヒンズー教が正しくないことを私に分からせたのです。
その後、英国に留学したとき、そこは男女に平等の権利を与え、女性を抑圧せず、何でも自由なことが出来る国だと思っていました。しかし、新しい友人を作り、彼らの行く「交流」の場(バーやダンスホール等)に行き、人々との交流を通してこの社会について学んでいくうちに、この「平等」は、それが唱えられているようには実践されていないことが分かりました。
外 面的に、女性たちは教育・仕事などにおいて平等の権利を与えられているかのように見られていますが、現実に女性たちは依然として異なった、より目立たない 方法で抑圧されているのです。私が友人たちとバーなどにいると、多くの人々が話しかけてきたため、それは普通のことだと思っていました。しかし、その時は まだ世間知らずで、やがて私は彼らが何を本当に求めていたのかを理解するようになりました。私はすぐに、まるで自分が自分ではないかのような居心地の悪さ を覚えました。そこでは人々に好かれるような特定の格好をし、特定の話し方をしなければなりませんでした。私は頻繁に居心地の悪さを感じるようになり、ど んどん自分らしさを失っていきましたが、そうした状況から逃れることは出来ませんでした。皆はそれぞれが楽しいと言っていましたが、私はこういったことは 楽しいこととは言えないと思いました。
私 はこうした状況にある女性たちは、抑圧されていると思います。彼女らは周りを喜ばせようと、より魅力的な特定の格好をし、特定の話し方をして人々に好きに なってもらおうとしています。当時、私にはムスリムの知り合いはいたものの、イスラームについて考えたことは一度もありませんでした。しかし、私は自分が 満足し、安心でき、他人から尊厳されるような何かを探し出さなければならない必要性を感じていました。それは、何か信じることの出来る正しい信仰です。な ぜなら、誰しもそれに従って生きている何らかの信仰を持つからです。もし夜遊びが楽しいというのを信じているのなら、人はそうします。もし飲酒によって人 生を楽しむことが出来ると信じるのなら、人はそうするのでしょう。しかし私はそれらが何にも繋がらないと感じました。誰一人として完全には満足しておら ず、女性の求めている尊厳は、そこでは減少する一方だったのです。