ノアの物語(1/3):ノアの人物像
ユダヤ教とキリスト教の聖典における大洪水の既述では、当時の罪と不信仰の時代における誠実な人物としてノアが取り上げられています。クルアーンの既述と預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の言葉によれば、預言者ノアは罪と不法が人々を覆っていた時代における、アダムの子孫の希望の光であったことを説いています。
人類は神の唯一性を信じる一つ の共同体でしたが、いつしか混乱と逸脱が忍び寄るようになりました。ノアは人々を唯一・真実の神への崇拝へ呼びかける、忍耐強く冷静な人物でした。彼は卓 越した雄弁家でもあり、彼の周囲へ偶像崇拝を止めるよう呼びかけ、それら偶像や彫刻を拝む人々に待ち受ける悲惨な懲罰を警告していました。
“われら(神)はノアをその民に遣わした。彼は言った。「我が民よ、神に仕えるのだ。かれの他に、あなた方に神はないのだ・・・」”(クルアーン 23章23節)
ノアは生命の神秘や宇宙の驚異などの物語を語りました。彼は日中、いかに太陽の光や活動がもたらされ、夜が涼しさや休息をもたらすかを説きました。彼は天地を所有する偉大なる創造主である神について話し、地上の広さと美を指 し示しました。世界の創造は人類への幸福のためであるとノアは説明しています。また、人間はこれを理解し、偽りの神々ではなく真の神へと崇拝を向けなけれ ばならないとも語っています。ノアが偶像崇拝者たちにそういったことを話し始めると、彼らは憤慨し、怒り出したのです。[1]
偶像崇拝の起源
預言者アダムとノアの間には十世代の時間があったと 預言者ムハンマドは我々に伝えています。[2]ノア自身、100年以上に渡って生き続け、それ以前の人々も更に長く生きたことから、その期間は非常に長いものであったと我々は推測することが出来ます。
アダムとノアの時代の間においては、アダムによって説かれた教えに従い、正しく神を崇拝していた数世代の人々が存在していました。それから時代が下っていくにつれ、人々はその教えを忘れるようになってしまったのです。しかし時には彼らの間の誠実な一部の人々が神に対する義務を説きました。そして時代が経つにつれ、誠実な人々はいなくなり、サタンは彼らに従っていた人々の心に対して狡猾な悪知恵を囁くようになったのです。
サ タンは善良な人々に対し、誠実な者たちの彫像を作るよう吹き込みました。こうすることにより、彼らは誠実な者たちのことを語り続け、神への崇拝を忘れない ようになるだろうとサタンは言ったのです。善良な人々は広場や家々に彫像を置き、サタンは彼らがそれらを作った理由を忘れるようになるまで姿を消しまし た。そして長い年月が経ち、人々のもとに再び邪なサタンが現れると、今度は直接それらの偶像を崇拝するよう促したのです。
預言者ムハンマドによる真性の伝承によれば、偶像崇拝の起源は次のように要約されています。預言者ムハンマドに近い教友の一人であったイブン・アッバースはこう述べています:
“それら(偶像)の名は、元来ノアの時代の敬虔な者たちの名であった。サタンは彼らの死後、彼らが座っていた場所に彼らの彫像を設置し、それらを彼らの名で呼びかけるよう、人々に仄めかしたのである。人々はそれに従ったが、やがて彼らが死に、それらの偶像の由来が曖昧になるまで、人々はそれらの偶像を崇拝しなかったのである。”(サヒーフ・アル=ブハーリー)
ノアによる呼びかけ
ナビー(アラビア語で「預言者」)という単語は「ナバア」という単語から派生しており、その意味は「知らせる」ことです。啓示が神によって下された時、預言者はその知らせを自らの民に伝えました。一方、使徒(ラスール)とは特定の使命を持って遣わされた者のことであり、通常は神による新たな法規定を伝える役目を担います。全ての使徒は預言者ですが、全ての預言者が使徒ということにはなりません。[3] アダムの子孫に起こったことは、預言者アダムによって伝えられた神への正しい崇拝からの最初の逸脱でした。しかし神はその無限の優しさとご慈悲により、そしてまたアダムとの約束通り、人類への導きのために諸使徒を遣わされたのです。神は最初の使徒としてノアを遣わしました。[4] アブー・フライラは預言者ムハンマドがこのように言ったと伝えています:
“審判の日、人々はノアのもとへ行ってこう言うだろう。‘ノアよ、あなたは地上に遣わされた最初の使徒であり、神はあなたを感謝するしもべであると呼ばれました。’”(サヒーフ・アル=ブハーリー)
神以外のものを崇拝することはそれがいかなるものであれ、重大な結果を招くことになります。そしてそれらの内最も程度の低いものは自由の欠乏です。なぜならサタンが人を奴隷にし、彼の心を破壊して善と悪の区別が付かないようにするからです。ノアが偶像崇拝に固執した結果としての破滅を人々へ警告した際、彼らはあたかも聾唖者のようになったのでした。ノアはサタンの策略を説明したのですが、彼の民は背き去り、彼の言葉を聞こうともしなかったのです。ノアは彼らに対して朝に夕に訓戒しました。彼はその教えをある時は公然と宣言し、またある時は個人的に静かに伝えました。それにも関わらず、一部を除く全ての人々は彼の言葉を否定したのです。ノアは嘆いて神に訴えました:
“彼(ヌーフ)は申し上げた。「主よ、私は夜も昼も、我が民に呼びかけました。しかし私の呼びかけは、ただ彼らの逃避を助長するばかりです。私が彼らに、「かれが、あなた方を御赦しになるのだ」と呼びかける時、彼らは指を自分の耳に差し込み、自分で外套を被って(不信心を)固執し、ひたすら高慢になります。”(クルアーン 71章5−7節)
ノアの呼びかけに答えた人々は、彼の民の中でも最も弱く、貧しい人々でした。指導者や有力者たちは傲慢な反応をし、呼びかけを拒否したのです。彼らはこう言いました:
“本当に私たちにとって、あなたの間違いは明らかである”(クルアーン 7章60節)
ノアは長年、人々に訴え続けました。950年間に渡り、彼は嘲笑や罵りに耐え続けたのです。
Footnotes:
[1] Based on the work of Al Imam ibn Katheer, The Stories of the Prophets.
イマーム・イブン・カスィールによる著書、 The Stories of the Prophetsに基づいています。
[2] Saheeh MuhammadAl-Bukhari。
[3] Al Ashqar, U. (2003). The Messengers and the Messages. Islamic Creed Series. International Islamic Publishing House: Riyadh.
アル=アシュカル、U. (2003) The Messengers and the Messages.「諸使徒とそのメッセージ」イスラーム教義シリーズ。 International Islamic Publishing House:リヤド。
[4] Al Ashqar, U. (2003). Belief in Allah. Islamic Creed Series. International Islamic Publishing House: Riyadh.
アル=アシュカル、U. (2003) 「アッラーへの信仰」 イスラーム教義シリーズ。 International Islamic Publishing House:リヤド。