神の御名(下):御名を使った祈願


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アッラーの御名から、いかにして益を得ることができるかについて。

神(アッラー)には多くの御名があり、それらすべてはかれの偉大性、完全性とその威厳を示しています。預言者ムハンマドはこのように述べています。神には100から1を除いた99の御名があり、それらを学ぶものは誰であれ、楽園に入るのだ。学ぶということは覚えることだけでなく、それらの意味を理解し、それらによって神に呼びかけることが含まれます。

神の御名を学び、それらを知ることは、人が神のみを崇拝するために創造され、神の戒律に従った生活をしなければならないということを理解させます。こうした知識は、人に神の知識に基づいた行動を取らせ、実直な人生を歩ませます。神の御名を理解することは、あらゆる被造物への崇拝から人を自由にします。

人は、神がアル=アハド(唯一無比なる御方)であることを学ぶと、かれに同位者をあてがうということをしなくなります。同様に、人は神がアッ=ラッザーク(糧を与える御方)であることを学ぶと、かれ以外の者から糧を求めることをしなくなります。また神がアル=ガッファール(赦し深き御方)であることを学ぶと、かれのみに赦しを求めるようになります。

預言者ムハンマドは、神の御名によってかれに呼びかけることの重要さについて強調しています。祈願を行う際、預言者ムハンマドはこのように言っていたことが知られています。「神よ、私はあなたが御自身に命名した、またはあなたが御自身の書において啓示された、またはあなたがあなたの被造物に教えられた、またはあなたが御自身だけに秘められた未知の知識における、あらゆる御名によってあなたに請い求めます。」私たちが神に呼びかける際は、必要とする助けに応じた御名で呼びかけることが推奨されています

「ラッブ(主、扶養者)」という御名は、クルアーンにおける章句の中で何度も繰り返されています。ラッブはすべての信仰者たちを導き、養います。かれは信仰者たちの諸事を司り、御心のままに祝福を与えます。日本語には「ラッブ」に相当する言葉はありません。それは「主」として訳されることが多いですが、アラビア語のラッブという言葉が持つ意味の広さ・深さを考慮すると、妥当な訳とはいえません。それは、全宇宙の唯一なる主であり、創造主・維持者・扶養者・安寧を与える御方という意味を持ちます。

「アル=ハキーム(叡智に満ちた御方)」、「アル=ハカム(裁決を下す御方)」という御名は、神が被造物のもの、そしてかれの命令を含むあらゆる英知の源であり、あらゆる物事の裁決を下すことを意味します。かれこそはあらゆるものを創造した御方であるため、かれのみが被造物における真の英知を知る御方です。かれはかれの法、かれの御意、かれの報奨あるいは懲罰をもって人類の間に裁決を下す御方です。かれは公正さをもって裁き、誰一人として微塵たりとも侵害されることはありません。人は他人の罪を負わされるということもありまえん。神はあらゆる裁決において公正であるのです。

 “・・・だが信心堅固な者にとって、アッラーに優る裁判者があろうか。”

(クルアーン5:50)

 “アッラーは審判の日に、あなたがたがそれに就いて相違したことに関し、あなたがたを裁かれる。”

(クルアーン22:69)

神の御名には「アル=クッドゥース(神聖なる御方)」があり、「祝福された御方・清浄なる御方」という意味を持ちます。天使たちはかれを讃え、かれはその美徳と善良さによって賞賛されます。神が神聖なる御方であるのは、かれが対抗者、敵対者、同位者などを持つことから遥かにかけ離れた存在であるからです。かれは完全無欠であり、いかなる欠点や短所もありません。あらゆるものは、そのいかなる側面においても、かれに似通うこと・近づくことからは遠く隔たれているのです。

 “かれに比べられるものは何もない。”

(クルアーン42:11)

and,

 “かれに比べ得る、何ものもない。”

(クルアーン112:4)

神の御名には、アル=ムウティ(お授けになる御方)や、アル=マーニウ(差し控えになる御方)というものがあります。かれがお授けになることは誰一人として差し控えることは出来ませんし、彼が差し控えになることは誰一人として授けることは出来ません。かれこそは御意に適った者にお授けになり、御意に適った者に差し控えられるのです。

預言者ムハンマドは、ある若い教友にこのように言っています。

 “もしも、あなたへ何らの利益をもたらすために、あらゆる者が集ったとしても、彼らがあなたに益することができるのは、すでにアッラーがあなたのためにお定めになった事柄の中からだけなのである。そして、もしも彼らがあなたへ何らかの危害をもたらすために集ったとしても、彼らがあなたを害することができるのは、すでにアッラーがお定めになった事柄の中からだけなのである。”

(アッ=ティルミズィー)

神はアッ=シャーキル(謝恩の御方)であり、アッ=シャクール(感謝する御方)でもあります。かれはたとえそれが最も小さな善行であっても感謝し、それが最も大きな過ちであってもお赦しになる御方です。かれは善行の報奨を増加し、かれを称える者を感謝します。神はかれを念じる者を念じられるのです。

 “かれらは言う。「アッラーを讃えます。わたしたちから(凡て)の苦悩を取り除いて下された御方。わたしたちの主は、度々赦される御方、(奉仕を)十分に認められる御方です。”

(クルアーン35:34)

預言者ムハンマドの言行録から、私たちは次のことを学びます。

 “神は善行と悪行を書き記された。善行を意図してそれを行わなかった者に、神はそれを一つの完全な善行として記されるが、それを意図しつつ行った者に、神は10から700、またはその何倍もの善行として記されるのである。また悪行を意図してそれを行わなかった者に、神はそれを一つの完全な善行として記されるが、それを意図しつつ行った者に、神は一つの完全な悪行として記されるのである。”

(サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)

神こそは人類を有益な方向へと導き、彼らを保護する御方です。神はアル=ハーディ(導く御方)なのです。かれは導きにおける唯一の源であり、あらゆる保護がもたらされる源泉なのです。神の導きは、人々の心を篤信と誠実さで満たします。かれは暗闇における導きの光なのです。

 “・・・指導者、援助者としてはあなたの主だけで十分である。”

(クルアーン25:31)

以上はクルアーン、そして預言者ムハンマドにまつわる真正の言行録から見出すことのできる神の御名の内の一部です。神の御名や特質は、クルアーンの章の終わりにて多く見出すことができます。私たちが神に立ち返ると、神は私たちに応えます。私たちがかれに呼びかけると、かれはそれをお聞きになり、答えてくれます。最も慈悲深く慈愛深き神であるアッラーについて、預言者ムハンマドは夜の最後の3分の1において、かれは被造物に呼びかけると述べています。

 “誰でも祈りを捧げている者に、われはその祈りを叶えようぞ。われから何かを求める者に、われはそれを与えようぞ。われから赦しを乞う者は、われはそれを赦そうぞ。”

  1. サヒーフ・ブハーリー
  2.           アフマド。アルバーニーにより真正に分類されたハディース。
  3.           定義付けはアブドッラフマーン・アッサアディー著の「Tayseer al-Kareem al-Rahmaan fi Tafseer Kalaam al-Mannaan」から。
  4.              サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム、マーリク、アッ=ティルミズィー、アブー・ダーウード

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