聖書におけるムハンマドの予示(3/4):新約聖書におけるムハンマドの予示
ヨハネ14:16“私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなた方にお与えになります。その助け主がいつまでもあなた方と、共におられるためにです。”
この節では、イエスがもう一人の“助け主”の出現を約束しています。従って私たちは、この“助け主”に関するいくつかの議論をしなければなりません。
ギリシャ語のο Παρακλητος、ラテン語表記ho parakletosは‘助け主’と訳されてきました。この‘“パラクレートス”’とは、正確に訳せば‘他人のために嘆願する者、執り成す者[1] ’という意味になります。ギリシャ語のho parakletosは人称であり、(実体のない)霊的存在を示しているのではありません。ギリシャ語では全ての名詞に性別があります;すなわちそれは男性詞か、女性詞か、もしくは中性詞でなければならないのです。ヨハネの福音書の第14章、15章、16章のho parakletosは、実際に特定の人物を指しています。ギリシャ語の全ての代名詞は、それらを指す単語と性が必ず合致していなければならず、”パラクレートス”が代名詞によって指示される際には“彼”として示されています。しかし新約聖書ではその訳として“息”、または“霊”を意味するPneumaという単語があてられており、一方旧約聖書の中では、ギリシャ語の同意義であるruah、またはヘブライ語では“霊”として使われています。なお、Pneumaは文法的には中性詞であり、必ず“それ(it)”という代名詞を使って指し示されます。
現在の全てのバイブルは“古代の写本”から編纂されており、最も古いものでは西暦4世紀まで遡ります(異端として一部に認められていない“死海文書”[紀元前1−2世紀]はここに含まれていません)。それら古代の写本には、同一のものが一つも存在しません。[2] 現在の全てのバイブルに単一の典拠はなく、それらは数々の写本を混合することによって作り出されたのです。そしてバイブル翻訳者は正しい版本を“選択”し ようと試みます。言い換えると、彼らはどの“古代の写本”が正しいかを知らないため、私たちがどの“版本”を読むべきかを選んでくれているのです。ヨハネ 14:26を例に挙げてみましょう。ヨハネ14:26はバイブルの中で、”パラクレートス”に‘聖霊’を関連付けているの唯一の節です。しかし“古代の写本”は、““パラクレートス””が‘聖霊’であることに合意しません。実例を挙げれば、1812年にシナイ山で発見された、五世紀に書かれたとされる著名なシリア写本の14:26では;““パラクレートス”、霊”;となっており、““パラクレートス”、聖霊”ではないのです。
なぜこれが重要なのでしょうか?これが重要なのは、聖書言語においては、“霊”が単なる“預言者”を意味するからです。
“愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、試しなさい。なぜなら、偽預言者がたくさん世に出て来たからです。”[3]
特筆に値するのは、複数の聖書学者が”パラクレートス”は救済をもたらす独立した(一人の)人物であって、聖霊ではないとしている事実です[4]。
そこでこのような疑問が生じます:イエスの”パラクレートス”、“助け主”は、‘聖霊’なのでしょうか?それとも彼の後に現れる人間 ― 預言者 ― なのでしょうか?この疑問に対しての答えを見つけるためには、ho parakletosの特徴を理解し、それが霊なのか人間であるのかを確認しなければなりません。
さてヨハネの福音書14:16、16:7を読み進めていくと、イエスが”パラクレートス”の出現と正体に関して予言しているのを見出すことが出来ます。そしてヨハネの福音書14及び16章の文脈からは、以下の事実を発見することが出来ます。
1.”パラクレートス”は人間であるというイエスの発言:
ヨハネ16:13“彼は話す”
ヨハネ16:7“もし私が去って行かなければ、助け主があなた方のところに来ないからです。”
“聖霊”はイエスが出現するよりもはるかに過去に存在していたため、ここで助け主が聖霊であると言うことは不可能です。[5]
ヨハネ16:13で、イエスは7回も”パラクレートス”を‘それ(it)’ではなく‘彼(he)’という代名詞をもって言及していますが、バイブルに男性詞が七回も出て来る節は他にはありません。従って”パラクレートス”とは人物であり、霊ではないと言うことが出来ます。
2.イエスは”パラクレートス”と呼ばれていた:
“もし誰かが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方(”パラクレートス”)があります。それは、義なるイエス・キリストです。”(第一ヨハネの手紙2:1)
ここでは、はっきりと”パラクレートス”が肉体を供えた人類の執り成し人であることが記されているのを見ることが出来ます。
3.イエスの神性は後世に行なわれた宗教改変である
西暦325年に開かれたニケア公会議が開かれるまで、キリストには神性があると認められていませんでした。しかし以下のバイブルの節で述べらているように、ユダヤ人以外の全ての人々は彼を神の預言者であると認めていたのです。
マタイ21:11“…この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。”
ルカ24:19“…ナザレ人イエスのことです。この方は、神と全ての民の前で、行ないにも言葉にも力のある預言者でした。”
4.イエスによる、もうひとりの”パラクレートス”のための神への祈り:
ヨハネ14:16“私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の”パラクレートス”をあなた方にお与えになります。”
Footnotes:
[1] Vine’s Expository Dictionary of New Testament Words.
[2] “これらのような大きな食い違い以外にも、一部の写本においてフレーズに相違の認められない節はほとんどありません(バイブルが編纂された古代の写本に関して)。これらの付加、省略、改変が単なる無頓着さによるものであるとするものは誰もいません。” 英題:‘Our Bible and the Ancient Manuscripts’、フレドリック・ケニヨン博士、Eyre and Spottiswoode出版、三頁。
[3] 第一ヨハネの手紙4:1
[4] “… キリスト教の伝統は、この存在(パラクレートス)を聖霊であるとしてきましたが、スピッタ、ドラフォッス、ウィンディッシュ、サス、ブルトマン、ベッツな どの学者たちは、これが本来の原典では本当にそうであったかどうか疑問を示し、そしてパラクレートスとは元々は一人の独立した救済者だったものが後に聖霊 と混同されたのではないかと示唆しています。”The Anchor Bible、出版:Doubleday & Company, Inc.1970年、29A巻、1135頁。
[5] 創世記1:2、第一サムエル記10:10、第一サムエル記11:6、イザヤ書63:11、ルカ1:15、ルカ1:35、ルカ1:41、ルカ1:67、ルカ2:25、ルカ2:26、ルカ三:22、ヨハネ20:21−22。